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都市宣言 Web写真展

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原爆にまつわる福島の悲劇

昭和20年8月6日に広島市、8月9日には長崎市に原子爆弾が投下されました。
この原爆投下前、7月20日午前8時30分過ぎ、福島市の上空にアメリカ軍の戦略爆撃機B29が現れ、渡利の水田に1発の爆弾を投下しました。
この爆弾で、国民学校の高等科を卒業したばかりの14歳の少年が、不幸にも犠牲となりました。
ものすごい爆風で小学校の窓ガラスは全部割れ、飛び散った爆弾の熱い破片で、付近の農家の屋根がくすぶりました。爆弾が落とされた地面は、直径約35メートルもの穴があき、周りの土は高く盛り上がっていたといいます。
この爆弾は、「パンプキン」と呼ばれた長崎型の原爆と同じ形と重量(約5トン)で作られた「模擬原爆」で、原爆投下の特命を受けた米軍の秘密部隊が、訓練のため全国28都市の軍需工場などを標的にして、計49発を投下した記録が残っています。
福島市に爆弾が落とされたのは、後にも先にもこの1発だけで、その破片が、このとき亡くなった少年の遺族から寄託され、福島市渡利の瑞龍寺に保管されています。
破片は、およそ縦20センチ、横50センチ、厚さ3センチ、重さが15キロあります。
私たちは、少年の尊い命を奪っていった、この悲しい歴史をいつまでも忘れてはなりません。

ふくしまと原爆の写真

8時34分で止まった柱時計

ふくしまと原爆の写真

柱時計は、模擬原爆の爆弾が炸裂した衝撃と爆風で投下時刻の午前8時34分を指したまま動かなくなった。
この柱時計を所蔵するお宅は、爆弾が落ちた場所から100メートル位のところにあり、当時の渡利では、まだ珍しかった瓦葺きの屋根であった。
しかし、そのもの凄い爆風で屋根の瓦は、ほとんどが吹き飛ばされてしまったといいます。

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