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更新日:2017年3月1日
宮畑縄文人はどこに住んでいたのでしょうか
宮畑縄文人が住んでいたむらは、後ろ(うしろ)(東)には緑(みどり)豊かな山々が広がり、前方(西)には母なる川、阿武隈川(あぶくまがわ)が流れる、やや小高い丘の上にありました。むらから、南西方向(なんせいほうこう)には信夫山(しのぶやま)、そして西の遠方(えんぽう)には吾妻(あづま)の山々が見える、日当たりのよい場所でした。
調査から、むらのそばを、後ろ(東)の山から阿武隈川にそそぐ小川が流れていたことがわかりました。
宮畑縄文人が生きていた縄文時代は、まだ米づくりを知らない時代でした。
縄文人は、野山(のやま)の木の実や山菜(さんさい)を採(と)ったり、狩り(かり)などで動物(どうぶつ)を獲(と)ったり、あるいは海や川で魚や貝をとって食料(しょうくりょう)にしていました。
自然(しぜん)のめぐみの中で生きていたのです。
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