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更新日:2017年3月1日
宮畑縄文中期のむらでは、多くの家が焼けています。
これまで47棟の家調査をしましたが、半分近くの21棟の家が焼けていました。
(福島県)郡山市の上納豆内遺跡(かみなっとういせき)で発見された縄文時代中期のむらでは、100棟をこえる家が発見されていますが、焼けた家は発見されていません。
全国で多くの縄文むらの調査が行われていますが、これほど多くの家が焼けたむらは発見されていません。
10棟に1棟が焼けていても多いといわれます。
半分近くの家が焼けたむらは、宮畑縄文中期のむらが全国でも初めての発見です。
写真の左側に見える赤い土は、家が燃えた時に屋根の土や床が焼けて赤くなったものです。
れんがのようにかたく焼けた土が40センチメートル以上たまっていました。
復元した家を燃やしたようすです。屋根に土をのせた家でしたので、なかなか燃えなかったようです。燃やすのに薪を16束(たば)以上使いました。
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