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更新日:2017年3月1日
約4000年前に、数多くの家が焼かれた中期のむらはなくなり、敷石住居(しきいしじゅうきょ)と呼ばれる石を敷いた家がある後期のむらが作られました。
敷石住居は、おまつりを行うための特別な施設(しせつ)という考えと普通の家という考えがありますが、関東地方で流行したものです。
福島県では三春町(みはるまち)や本宮町(もとみやまち)などで発見されていますが、敷石住居が作られないむらもあり、すべてのむらにあるわけではありません。
宮畑の縄文後期のむらは、中期のむらではなかった関東地方の特色(とくしょく)を持ったむらで、関東地方との交流があったことを示しています。
平らな石を敷き並べた敷石住居が2棟並んでいます。中には大人が一人では運べない石が使われています。どこかの川から石を運んで作っています。
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