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更新日:2023年1月17日

祝・古関裕而氏が野球殿堂入り!

2023年野球殿堂特別表彰

 古関裕而氏の野球殿堂入りを目指し、福島市長を会長とする「古関裕而氏の野球殿堂入りを実現する会」は様々な活動を展開してきましたが、令和5年1月13日に2023年野球殿堂入りが発表され、古関裕而氏が特別表彰で殿堂入りしました。

 これまでの多くの皆様に応援いただきましたこと深く感謝申し上げます。 

公益財団法人野球殿堂博物館(外部サイトへリンク)

セレモニー

 

市長コメント

 ついに古関さんに殿堂入りの栄冠が輝きました。5度目の挑戦。昨年は、1票足らずで逃していただけに、この上ない嬉しさです。関係者や市民の皆さんとともに喜びたいと思います。
 記念の野球イベントを開催するなど、殿堂入りを、コロナ後に向けた地域再生へのエールとして、福島市のまちづくりに大いに活用してまいります。
 令和5年1月13日 福島市長 木幡 浩

古関氏の野球への貢献

 古関氏の生涯における作品総数は約5000曲にも及びますが、野球との関わりが深い作品も多く、楽曲で野球界を盛り上げてきました。

 古関氏の最初の野球関連作品は、昭和6年に作曲した早稲田大学応援歌「紺碧の空」です。この曲は昭和6年春のリーグ戦で披露され、そのブラスバンドの指揮は古関氏が執りました。

 「紺碧の空」をきっかけにスポーツ音楽の作曲に精力的に取り組むようになり、昭和6年にアメリカの大リーグ選抜チームを日本に招聘して開催された日米対抗野球大会では、アメリカチームを歓迎するための「日米野球行進曲」を作曲。また、昭和9年には都市対抗野球大会の初代大会歌「都市対抗行進曲」を作曲し、大会を大いに盛り上げました。

 日本にプロリーグが設立され、プロ野球の興行が始まった昭和11年には、プロ野球チーム大阪タイガースの球団歌「大阪タイガースの歌」を作曲しました(その後、球団名の変更に伴い「阪神タイガースの歌」に名称が変更され、現在では「六甲おろし」の愛称で親しまれています)。そのほか、昭和25年には中日ドラゴンズの最初の球団歌「ドラゴンズの歌」を、昭和38年には読売ジャイアンツの3代目球団歌「巨人軍の歌」(通称「闘魂こめて」)を作曲しました。

 大学野球では昭和21年に慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」を作曲。さらに、早稲田大学と慶應義塾大学のいわゆる早慶戦の試合開始前にライバル同士の両校の学生が一緒に歌う応援歌「早慶讃歌~花の早慶戦~」も作曲しています。そのほかにも、明治大学の第3応援歌「紫紺の旗の下に」、日本大学応援歌「水の覇者日大」、中央大学応援歌「ああ中央の若き日に」、東京農業大学「カレッヂソング」も作曲しています。

 また、高校野球とも深い関わりがあり、昭和23年に全国高等学校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」を作曲しています。「栄冠は君に輝く」は作曲から70年以上たった現在でも大会歌として演奏され続けており、高校球児が青春を捧げる夏の甲子園大会に欠かせない楽曲となっています。

 このように古関氏は、大学の応援歌やプロ野球の球団歌、野球大会の大会歌など野球関連の作品を数多く手がけ、その楽曲は作曲当時だけでなく、今なお広く歌い継がれており、戦前・戦後の日本の野球を盛り上げ、国民の野球への興味関心拡大や野球文化の発展、魅力の発信に大きく貢献してきました。

 こちらの古関裕而記念館のホームページ(外部サイトへリンク)もご参考に!

 

「古関裕而氏の野球殿堂入りを実現する会」の取組経過

 殿堂入りを実現する会のパネル平成30年10月、本市と福島商工会議所、福島商業高校同窓会、福島民報社を中心とする「発起人会」を発足させ、翌11月に「古関裕而氏の野球殿堂入りを実現する会」を設立しました。

 同年、野球殿堂博物館へ初めての「推薦書」を提出。以降、毎年推薦書を提出するなど、古関氏の殿堂入り実現に向けて活動を続けてきましたが、このたび念願かなって殿堂入りを実現することができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

リンク

  

 こちらの古関裕而記念館のホームページ(外部サイトへリンク)もご参考に!

 

このページに関するお問い合わせ先

市民・文化スポーツ部 文化スポーツ振興室 文化振興課 文化振興係

福島市五老内町3番1号

電話番号:024-525-3785

ファクス:024-536-2128

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