
本日、東日本大震災・原子力災害から15年を迎えました。犠牲となられたすべての方々に改めて深い哀悼の意を表します。また、今なお様々な困難の中にある皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
あの日、福島市は震度6弱の激しい揺れに見舞われ、市内全域で停電と断水が発生しました。厳しい寒さの中、ガソリンや食料を求めて長い列ができ、ラジオから流れる津波や原子力発電所事故の情報に、不安という言葉では表しきれない、言葉を失った時間が続きました。
同時に、福島市は避難者を受け入れるまちでもありました。浜通りの被災地などから、着の身着のままで避難された方々を、市内の避難所で受け入れました。水や電気が十分ではない状況の中、市民が率先して炊き出しや物資提供に立ち上がり、支え合いました。そこには、確かな「おたがいさま」のあたたかい市民性にあふれていました。
一方で、放射線の不安から、市外へ避難を決断された方々、不安を抱えながらも福島にとどまる選択をした方々がいます。家族と離れて暮らす決断をとった方々もいます。あの時に抱えた深い葛藤や苦しみは、きっと福島市民の一人ひとりの心の中に、震災の記憶として残っていくものでしょう。現在も、約2,000人の方々が市外での生活を続けています。その方々もまた、震災当時を知る大切な福島市民です。
また、私たちが忘れてはならないのが、国内外からいただいた多くの支援です。全国の自治体、世界各国から人的・物的支援を賜り、復旧・復興の最前線で力を尽くしてくださったすべての皆様方の支えがあって、今日の福島市につながっています。そのことに深い感謝の念を持ち続け、よりよい福島市の未来を築くことこそ、今を生きる私たちの責務です。
震災から15年の月日が経ちました。しかし、その記憶と教訓は、決して過去のものではありません。福島市は、震災の経験に学び、防災・減災に向けた取り組みを、不断に進めてまいります。そして、全国、世界からいただいた御恩を、少しでも恩送りできるよう尽くすことが、福島市に出来ることであり、災害大国日本をしなやかに強くする一助になれると信じています。
震災当時、私は高校3年生でした。あの時の経験が、今の福島市長という道につながっています。これから、私より下の世代は、震災を知らない世代が増えていきます。だからこそ、復興というフェーズから一段上がり、次の時代を力強く切り拓かなくてはなりません。教訓は、振り返るだけではなく、そこから得た価値を日常の中に落とし込むことが大切です。防災を特別なものにするのではなく、暮らしの中に自然と根付くものにすること、支え合うことが当たり前のやさしいまちであること、一人ひとりの個性を認め合えること。そうした有形・無形の学びを分かち合えることこそが、震災からの教訓を体現する道であり、私たちの共有する誇りです。
福島市は福島県の県都として県内各地域と手を携えながら、福島全体の復興と新たな挑戦を牽引していく責任があります。3.11を過去の記憶としてではなく、未来への糧として受け止め、26万市民一人ひとりとともに前へ歩みを進めてまいります。
令和8年3月11日
福島市長 馬場 雄基