複数の専門家が改めて赤外線画像を検討し、判別不明だった文字が明らかになりました。
当初は18文字と考えられましたが、19文字が書かれていることがわかり、書状の内容も判明しました。
(注意)その後、高精細赤外線画像の解析により、出羽国からの書状ではなく陸奥国からの書状であることが判明しました。(令和6年3月) ⇒最新の解釈は下記リンクをご覧ください!
西久保遺跡出土の木簡
文字 |
「出羽国牒下野国司 鎮兵死□□〔滅ヵ〕之状不罪□□〔郡郷ヵ〕」 (出羽国、下野国司に牒す。鎮兵死□減の状、郡郷を罪せず。) |
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よみ |
でわのくに、しもつけのこくしにちょうす。ちんぺいし□げんのじょう ぐんごうをつみせず。 |
内容 | 鎮兵が死亡したため、西久保遺跡周辺に留まっていた下野国司と鎮兵に対して、死亡は遺跡周辺の地域に落ち度がない旨を伝えた出羽国の書状。 |
年代 | 8世紀終わりから9世紀初頭(奈良時代末から平安時代の初頭) |
寸法 | 長さ29.6センチメートル、幅2.5センチメートル、厚さ1.1センチメートル、樹種不明 |
『続日本紀』や『養老令軍防令』では、各地の国や郡は、衛士や防人の療養や死亡に一定の責務があることが書かれています。
今回の文字判明により、鎮兵も同様の取扱いをしていたことがわかりました。
想定されるストーリー
- 下野国を国司と鎮兵が出発
- 西久保遺跡周辺で鎮兵が死亡
- 下野国司が出羽国に鎮兵死亡にかかる書状を作成
- 出羽国からの返答文(今回の鎮兵木簡)
- 下野国:現在の栃木県周辺に設置された国の名前。
- 出羽国:現在の秋田県・山形県周辺に設置された国の名前。
西久保遺跡はどのような遺跡だったの?
- 役所の機能を持つ有力者の居宅跡
(国司や鎮兵の滞在、それに伴う食糧等の給付、文書作成や使者の派遣ができる施設や機能が想定されます) - 水辺での儀式の可能性
(死亡した鎮兵の死を祓うための儀式が行われていたのではないか)