福島西道路改築事業に伴う発掘調査(西久保遺跡)において、全国で初めて「鎮兵」の2文字が書かれた木簡が出土しました。

木簡出土は市内初の事例で、赤外線画像の分析により、出羽国から下野国の国司あての鎮兵にかかわる書状であることがわかりました。

(注意)その後、高精細赤外線画像の解析により、出羽国からの書状ではなく陸奥国からの書状であることが判明しました。(令和6年3月) ⇒最新の解釈は下記リンクをご覧ください!

西久保遺跡出土の木簡

木簡の詳細
文字

「出羽国牒下野国司 鎮兵□□□之状□□□」の18文字

(出羽国、下野国司に牒す。鎮兵□□□の状□□□)

よみ でわのくに、しもつけのこくしにちょうす。ちんぺい□□□のじょう□□□
内容 出羽国から下野国の国司あての、鎮兵にかかわる書状
年代 8世紀終わりから9世紀初頭(奈良時代末から平安時代の初頭)
寸法 長さ29.6センチメートル、幅2.5センチメートル、厚さ1.1センチメートル、樹種不明
  • 鎮兵:『続日本紀』に記述のある、陸奥国や出羽国を防備するために派遣された兵士。
  • 木簡:文字が記された木札。
  • 出羽国:現在の秋田県・山形県周辺に設置された国の名前。
  • 下野国:現在の栃木県周辺に設置された国の名前。
  • 国司:国を治めるため中央から派遣された行政官のこと。

なぜ木簡がこの遺跡で見つかったの?(出羽国と下野国の書簡がなぜ陸奥国の信夫郡に?)

  1. 下野国に伝令される情報が何らかの形でここにとどまってしまった
  2. 下野国で役割を終えた木簡が再利用のためにもたらされた
  3. 下野国からではなく陸奥国(信夫郡)で兵を集めた

などの説が考えられます。

今後の分析や発掘により西久保遺跡の性格が明らかになれば、出土した理由が明らかになるかもしれません。

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