日本銀行の設立と鉄道の発達

信達地方は江戸時代から、「信達蚕糸業地帯」として全国に名が知られていました。明治に入ってから、蚕の卵(蚕種)は特に有名で、質の高い蚕種を全国に出荷しました。また、外国からの需要が多くなったため、福島町の問屋は生糸・絹織物を買い集め横浜の貿易会社から海外に輸出していました。明治20(1887)年の東京・福島間の鉄道開通も有効に働き、やがて、福島町は東北全体の生糸の中心地となり、生糸も福島町の絹問屋を通して販売するようになりました。生糸は当時取引額の最も多い商品で、明治32(1899)年6月に日本銀行福島出張所が東北で最初に福島に造られました。

明治時代からは他の地方で、製糸工場や絹織物工場が相次いで創業し、絹製品が大量に生産されるようになったため、従来の生産方式に頼っていた信達の製糸業は苦戦をしいられることになりました。

建物周りに木々が植えられ、屋根の一部が三角形になっているルネサンス様式の日本銀行福島支店の白黒写真

日本銀行 福島支店(大正時代)

当時をしのぶ建物たち

整備された植栽の奥に建っている御倉邸の写真

御倉邸
-所在地 福島市御倉町-

旧日本銀行福島支店長役宅。平成12(2000)年、昭和の文化遺産兼市民の憩いの場として開放されました。

木造の小さな小屋のような建物の奥に建っている横長で瓦屋根をした十間蔵の写真

旧堀切邸
-所在地 福島市飯坂町東滝ノ町-

衆議院議長を務めた堀切善兵衛の飯坂私宅を観光施設として開放。十間蔵は市指定有形文化財。

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