福島市教育委員会における表彰制度は、昭和36年度に創設され、多年にわたり福島市の教育に関し、著しい業績をあげられ、または他の模範と認められる個人または団体を顕彰することを目的としています。
令和7年度表彰式を執り行いました
教育行政部門「篠木 雄司 様」
平成28年10月1日、福島市教育委員会教育委員に任命されて以来、令和6年9月30日の退任まで2期8年にわたり、豊富な知識と経験をもとに、福島市の教育行政進展のために尽力した。
令和6年3月、人生経験の短い若者や学生が受験や仕事、人間関係で悩み、不安を抱え落ち込んだ時に前向きな一歩を後押しする「若者へのメッセージ」が篠木氏の発案により実現した。
退任後も社会貢献活動にも積極的に取り組み「福島から世界に元気を発信したい」との強い思いから全国を飛び回り講演活動を行っている。また、その講演料を使い小学6年生及び中学2年生にコップを使った実験授業を行い、一人ひとりの名前入りの黄色いコップをプレゼントする「幸せの黄色いコップ・プロジェクト」を行っている。その他、福島市立ふくしま支援学校に対して長年文房具等の寄附活動を行っており、その姿勢は本市教育行政の振興・発展に寄与した。
学校教育部門「君島 勇吉 様」
平成11年から2年10月間は福島市教育委員会学校教育課指導主事として、平成19年4月より3年間、指導係長、主幹(指導担当)として勤務し、福島市の教育課題を解決し、福島市の学力向上に尽力した。
清水中学校長、福島第四中学校長として、教職員の指導力の向上を目指した。特に、福島第四中学校長時代は、「自ら学習に取り組む生徒を育てる指導の実践」を研究主題として、ねらいを明確にした課題設定の工夫、学習意欲を引き出す言語活動の工夫改善について、研究を深め大きな成果を上げた。
さらに平成25年度、平成26年度の2年間にわたり、福島県中学校長会長として、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故後の対応に当たり、福島県の教育課題を的確に把握し、一日も早い学校教育の通常化のために尽力し、その解決に向けた優れた指導力を発揮するなど、学校教育の振興に寄与した。
退職後は、平成27年度途中から平成29年度末まで、福島県市町村教育委員会連絡協議会事務長兼福島市教育委員会学校教育課嘱託指導主事として、教育行政の充実に尽力した。
学校教育部門「山縣 眞二 様」
平成22年から4年間は福島市教育委員会学校教育課管理係長、主幹(管理担当)として、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故の対応に当たり、福島市の教育課題を解決し、福島市の教育行政に尽力した。
福島第三小学校長(兼務ふくしま東幼稚園長)として、教職員の指導力の向上を目指した真摯で着実な教育実践により、大きな成果をあげた。研究公開においては、「やわらかな感性で、しなやかに学び合う子どもの育成」の主題のもと、福島市教育委員会委託研究校として、「望ましい学級集団づくり」と、「子供一人一人が生きる授業構想」の在り方について、授業を公開し、研究成果を発表した。
また、福島第三小学校長2年目、3年目に知的障がい、情緒障がい、病弱児対象の3つの特別支援学級を新設するなど、特別支援教育並びにインクルーシブ教育の振興発展に務めた。 平成28年度は、福島地区小学校長会長、小中協議会長として、学校教育の充実振興に寄与した。
学校教育部門「福地 憲司 様」
平成13年から4年間は福島市教育委員会学校教育課指導主事として、平成21年4月よりさらに6年間勤務し、最後の3年間は学校教育課長・参事兼学校教育課長として、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故の対応に当たり、福島市の教育課程を解決し、福島市の教育行政に尽力した。
福島第四中学校長として、教職員の指導力の向上を目指した真摯で着実な教育実践により、大きな成果をあげた。東日本大震災の経験から、一人一人の人格を大切にした教育を目指し、危機管理意識を持った防災教育と、学校事故防止の推進を進めた。 さらに平成28年度、29年度の2年間にわたり、福島県中学校長会長として、当面する学校経営上の諸課題を的確に把握し、その解決に優れた指導力を発揮するなど、学校教育の充実振興に寄与した。
退職後は、令和2年4月から約5年間、相馬市教育委員会教育長として教育行政の充実を図った。
学校教育部門「小針 伸一 様」
平成13年から3年9カ月間は福島市教育委員会学校教育課指導主事として、平成25年4月よりさらに2年間勤務し、学校教育課主幹(指導担当)として、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故後の対応に当たるとともに、学力向上に努め、福島市の教育課題の解決に向け尽力した。
北信中学校長、福島第二中学校長として、教育行政で培った識見と職務遂行力、危機管理能力を生かし、充実した学校経営を展開した。特に、研究主題を「生きてはたらく「学びの力」を求めて」と設定し、生徒が自ら学ぶ力を身に着けることができるよう、自己マネジメント力をはぐくむ指導の工夫改善に取り組み大きな成果をあげた。
さらに平成29年度、30年度の2年間にわたり、福島地区中学校長会長を務め、平成28年度は福島地区小中学校長会協議会長としてリーダーシップを発揮し、本市小中学校教育の充実・振興に寄与した。
退職後は、平成31年4月から6年間、福島県中学校長会事務局として県内教育行政の充実に務めた。
健康教育部門「赤間 英典 様」
昭和59年3月に福島県立医科大学医学部を卒業後、すぐに同大学小児科学講座に入局、小児科専門医としての研修、診療のなかで研究や後進の育成指導を行った。その後、白河厚生病院、大原綜合病院の勤務を経て平成12年12月福島市大森に「おひさま子供クリニック」を開設。小児科を中心とした地域医療の確保に尽力されている。
開設後の平成13年より、大森小学校、信夫中学校、佐倉小学校、佐倉幼稚園、平田小学校、平石小学校、庭坂小学校、平田幼稚園(廃園)、福島第二幼稚園(廃園)の校医として24年間にわたり児童生徒の健康管理に寄与した。特に東日本大震災時には、子どもの健康管理と安全性について各地域で講演を行う等適切な対応を促した。
平成30年より福島市医師会 学校・母子保健委員長として、また感染症対策委員会委員として、学校における適切な検診・予防接種の在り方について各学校医、養護教諭等に情報提供を行った。
さらに令和2年新型コロナ感染流行時においては、諸外国の情報や国内感染情報をいち早く察知し予防の在り方とともに、小児のワクチン接種医療機関の確保並びに接種の必要性について、福島市とともに広報を行った。
前列左より木幡浩市長、小針伸一様、山縣眞二様、篠木雄司様、君島勇吉様、福地憲司様、赤間英典様、白川敏明市議会議長
後列左より立花由里子教育委員、渡辺慎太郎教育委員、佐藤秀美教育長、高谷理恵子教育委員、橋本江理教育部長