約4500~4000年前(中期)の最初にできた宮畑縄文むらでは、人々は竪穴住居(たてあなじゅうきょ)という家に住んでいました。
これまで50棟を越える家が見つかりました。
むら全体の調査をしていませんので、さらに多くの家があったと考えられます。
しかし、発見された家すべてが500年間あったのではありません。
古くなった家をむらの別な場所に移して作り直して、人々は宮畑縄文むらに住んでいました。
発見された家は、500年間にむらの人々が次々と作った家のあとです。
宮畑縄文中期のむらでは、墓(はか)などは見つかっていませんが、他のむらの調査では、食べ物をたくわえる穴や大人やこどもの墓が見つかっています。
宮畑縄文むらにも墓や食べ物をたくわえる穴がどこかにあると考えられます。
中期のむらの家(竪穴住居(たてあなじゅうきょ))
一辺が約4メートルの正方形に近い形に地面を掘っています。家の中は柱を立てた穴です。

中期の家のいろり(復式炉(ふくしきろ))
石を敷いた火を燃やすところの先に土器が埋められています。いろりに土器を埋めるのは中期の家だけで、福島県や宮城県で流行しました。
