宮畑縄文中期のむらでは、多くの家が焼けています。

これまで47棟の家調査をしましたが、半分近くの21棟の家が焼けていました。

(福島県)郡山市の上納豆内遺跡(かみなっとういせき)で発見された縄文時代中期のむらでは、100棟をこえる家が発見されていますが、焼けた家は発見されていません。

全国で多くの縄文むらの調査が行われていますが、これほど多くの家が焼けたむらは発見されていません。

10棟に1棟が焼けていても多いといわれます。

半分近くの家が焼けたむらは、宮畑縄文中期のむらが全国でも初めての発見です。

中期の焼けた家

写真の左側に見える赤い土は、家が燃えた時に屋根の土や床が焼けて赤くなったものです。

遺跡の一部の地面が周りの地面の異なり赤くなっている中期の焼けた家の跡が見られる写真

焼けた土がたまっているようす

れんがのようにかたく焼けた土が40センチメートル以上たまっていました。

地面の窪みの一部が焼けた土で40センチメートルほどたまっている写真

御所野遺跡(ごしょのいせき)岩手県一戸町で家を燃やしたようす

復元した家を燃やしたようすです。屋根に土をのせた家でしたので、なかなか燃えなかったようです。燃やすのに薪を16束(たば)以上使いました。

復元した家を燃やし、焦げた柱が残っている写真

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