今から約2800年前ごろに、宮畑縄文むらには直径が90センチメートルの大きな柱を使った建物が作られました。
90センチメートルの柱を運ぶには、多くの大人の力が必要です。
縄文人は鉄(てつ)の斧(おの)を持っていませんでしたので、石でできた斧で木を切りました。
桜町遺跡(さくらまちいせき)(富山県小矢部市)の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)

川の跡から見つかった柱などをもとに当時の様子を復元したものです。
(富山県小矢部市教育委員会提供)
山で木を切り、大勢(おおぜい)のむらの人で宮畑縄文むらまで木を運び、建物を建てたのでしょう。
この大きな柱を使った建物は、むらの中でおまつりに使われたりする特別な建物であったのでしょう。
三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)の大型掘立柱建物(おおがたほったてばしらたてもの)
直径90センチメートルの柱を6本立てています。(青森県文化財保護課 三内丸山遺跡対策室 提供)

大きな建物の柱を埋めた穴
人が入っているのが柱の穴です。直径90センチメートルの柱を埋めるために、直径2メートルの穴を掘っています。

大きな建物の柱のあと
真ん中の黒い土が柱のあとです。黒い土の幅から直径90センチメートルの柱が使われたことがわかります。

直径60センチメートルの柱を使った大きな建物のあと
ロープで結んだ4つの穴が柱を埋めた穴です。4本の柱を立てて建物が立てられていました。

直径60センチメートルの柱を埋めた穴
大人がすっぽり入れる穴を掘って、直径60センチメートルの柱を立てていました。
