縄文時代後期のむらでは、中期のむらと同じく竪穴住居(たてあなじゅうきょ)が家でした。
敷石住居(しきいしじゅうきょ)が家という考えもありますが、敷石住居は後期のむらの初め頃には作られましたが、約3500年前になると作られなくなりました。
後期のむらで使われ続けた家は竪穴住居でした。
家の大きさや形は中期のむらの家と変わりありませんが、中期のむらの家で使われた複式炉(ふくしきろ)はなくなり、石を円形に並べたりいろりで火をたいていました。
いろりは、土器を使って料理をするだけでなく、暗い夜のあかりや暖房(だんぼう)の役割(やくわり)がありました。
後期の家は、約4000~3500年前の家は多く見つかっていますが、3500~3000年前の家はあまり発見されていません。
縄文時代後期のむらは、3500年前~3000年前にかけて小さくなったようです。
後期のむらの家
半円形に浅くくぼんでいるのが家(竪穴住居(たてあなじゅきょ))のあとです。家の半分だけを調査しました。本来は円形に地面を掘って家を作っています。家の中央には石を円形に並べたいろり(石囲炉(いしがこいろ))があります。
