「なつかしの川俣線」 令和6年9月掲載

はじめに

 川俣線についてご存じでしょうか。
 川俣線は、東北本線松川駅から分岐して川俣町までの全長12.492キロメートルの鉄道で、大正13(1924)年3月松川から起工して、同15(1926)年3月に開通しました。
 川俣線の駅は、松川―岩代飯野―岩代川俣の3駅のみでしたが、一時期、飯野と川俣の間に無人の岩代大久保駅を設けたこともあります。松川から2.9キロメートルの所に鉄橋、下川崎にはトンネルがありました。川俣線は飯野・川俣地区の絹織物を中心とする物資の輸送にも活躍しました。開通当初は5往復だった運行は、昭和9(1934)年には12往復に増え乗降数・取扱貨物も次第に増加していきました。
 開通当初は、松川から川俣間まで運行することが最終目的ではなく、この区間を起点として浜通り地方まで貫通する路線として構想されていました。しかし、実現されず、戦時中は、鉄資材転用のため線路が撤去され運休となりました。
 戦後、昭和21(1946)年、川俣線は復活し、鉄道全盛期には羽二重輸送などの重要な役割を果たしました。
 昭和40年前後になると、自家用車を所有する人が増え、列車通勤から自家用車通勤となり、鉄道利用者が減少しました。さらに、国鉄の赤字路線廃止方針により、国鉄川俣線は昭和47(1972)年廃線となりました。
 今回は、飯野民俗資料展示室(郷土史料室所管)に所蔵されている川俣線の写真で、当時を振り返ります。

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