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ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・歴史 > 遺跡 > 宮畑遺跡 > 宮畑縄文人からのメッセージ > 紹介する縄文むら > 福島市内の主な縄文むらを見てみよう3 南諏訪原遺跡
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更新日:2019年1月23日
約2500年前のむら
(縄文時代晩期)
福島県福島市松川町字南諏訪原・木曽内
松川小学校の校庭で見つかった約2500年前(縄文時代晩期)に最も栄えたむらです。
むらは、東西にのびるやや小高い丘のうえにあり、南の低いところを水原川が流れ、日当たりがよいところでした。北には緑豊かな低い山が広がっています。
むらでは、家や掘立柱建物、柵(さく)が見つかっています。
南諏訪原縄文むらの特色は、むらの中心は掘立柱建物が見られ、そのまわりに縄文の家々が半円状にならび、その外側には、さらに丸太を並べた柵が半円状にまわり、柵がむらを囲んでいます。お墓は見つかりませんでした。
掘立柱建物は、集会場(しゅうかいじょう)か倉庫(そうこ)として利用されたのでしょう。家や柵は何回か建て替えされながら、むらは続いていました。
空から見た南諏訪原縄文むら
丸く見えるのが家。半円状に点がつながって見えるのが柵のあと
六本柱の建物
柱の穴は直径1メートルです。どんな建物だったのでしょうね。
南諏訪原縄文むらで見つかった約2500年前の縄文土器
いろんな形や大きさがあるのがわかります。
宮畑縄文むらで見つかったおまつりの道具と同じ道具が見つかっています。
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