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更新日:2017年3月1日

宮畑・和台に暮らした縄文人

みなさんは縄文人にどのようなイメージを持っていますか?「裸に動物の毛皮を着て、自然に生えている木の実を取ったり、狩りをして毎日を暮らしている」と思っている方も多いのではないでしょうか?実は私たちが想像する以上に縄文人の生活は豊かで文化的だったと考えられています。

2つの国史跡、宮畑遺跡(岡島)と和台遺跡(飯野町)は縄文時代の人々の暮らしがわかる大変貴重な遺跡です。

宮畑遺跡は、縄文中期(約4500~4000年前)から晩期(約3000~2500年前)までの間に性格の異なったムラが作られました。特に晩期のムラで作られた大きな柱を持つ掘立柱建物跡は、当時大変特別な建物であったと考えられています。

一方、和台遺跡は縄文中期末(約4000年前)に約200年間営まれた遺跡で、230軒もの竪穴住居跡や500個体以上の完全復元できる土器、人体文(じんたいもん)土器や狩猟文(しゅりょうもん)土器など不思議な模様の土器も発見されました。また、クリの栽培や、遠隔地との盛んな交流をしたこともわかっています。

2つの遺跡は、周辺のムラから人々が集まる「拠点集落」だったといわれます。各ムラの特産品の物々交換や情報の交換を行っていたようです。2つの遺跡は近い場所にありますが交流はなく、全く違う文化を持った縄文人たちが暮らしていたようです。

じょーもぴあ宮畑

遺跡が詳しくわかるガイダンス、ムラの様子や栽培されていたクリ・クルミ林を再現した史跡公園。

スポーツやバーベキューなど、みんなで楽しめる多目的な公園施設です。

 

人体文土器

 

人の顔と体をしっかり表現した全国的にも非常に珍しい土器。人物の性別は不明です。儀礼(ぎれい)・信仰(しんこう)の対象であったといわれる、ナゾの多い不思議な土器です。

 

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