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ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・歴史 > 遺跡 > 宮畑遺跡 > 宮畑縄文人からのメッセージ > 紹介する縄文むら > 福島市内の主な縄文むらを見てみよう3 月崎遺跡
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更新日:2021年7月26日
約4500年前のむら
(縄文時代中期)
福島県福島市飯坂町字月崎町
月崎遺跡の上空からの写真
福島駅から飯坂電車(いいざかでんしゃ)に乗って医王寺前(いおうじまえ)を過ぎ、小川橋を渡り花水坂(はなみずざか)に着く前の西側に広がる約4500年前(縄文時代中期)から2500年前(縄文時代晩期)まで続いたむらです。最も栄えたのは約4000年前(縄文時代中期)のむらで、30棟以上の家とお墓、そして広場が見つかっています。
むらは、摺上川と小川(おがわ)が合流するところで、小川沿いの日当たりのよい低い丘の上にあります。
むらの西から北側には緑豊かな山々が広がっています。
最も栄えた頃のむらは、家々がむらの広場のまわりを東側をあけて囲むように並んでいます。
家は建て替えもされています。家の中にはいろりが見つかっていますが、当時、福島県を中心に流行した「復式炉(ふくしきろ)」と呼ばれる独特(どくとく)のいろりです。
月崎遺跡以外でも、「複式炉」が発見されている縄文むらが市内には数多くあります。
今から約4000年前の竪穴住居の家
大きさは約4メートルで、家の中に水が入らないように壁にそって溝(みぞ)を掘っています。
家の中で見つかった「複式炉」
大きさは長さ2メートルもあります。どうしてこんな大きないろりを作ったのでしょうね。
複式炉(ふくしきろ)は、約4300~4000年前に福島県を中心に流行した炉です。複式炉がどのように使われたかは、まだはっきりわかっていませんが、土器は火種(ひだね)を入れておくところ、石が敷かれくぼんだところ、石を敷いていないくぼ地はまきを置いたところではないかと考えられています。
月崎縄文むらでは数多くの「複式炉」が見つかりましたが、最も大きな「複式炉」は長さ3メートルもありました。
月崎縄文むらで見つかった約4500年前の小さい縄文土器
いろいろな形や模様(もよう)がみられます。
月崎縄文むらで見つかった約4500年前のいろいろな土偶
みんな顔が違うね。君に似ている土偶があるかな。
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