川岸に舟があり、その奥に見える向こう岸とをつなぐ松齢橋を人が行き交う様子を撮影した明治時代の白黒写真

 もともとは、「信夫の渡し」という渡し船がありました。明治4(1871)年の水難事故で18名もの犠牲を出してしまったため、荒天時は渡し船が運行されなくなりました。明治15(1882)年、渡利村と福島町が時の県令 三島通庸に嘆願書を提出し、架橋されました。三島は「願わくは松齢鶴年永くその齢を保たんことを」と松齢橋と名付けました。写真の橋は明治30年代のものです。

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