ふくしまの水道の歴史

皆さまにお使いいただいている福島市の水道は、大正14年に通水を開始して、平成27年4月に90周年を迎えました。
これまでの、福島の水道の歴史をご紹介します。

水道の歴史は拡張に次ぐ拡張の歴史でした。

大正14年創設当時の渡利浄水場の写真

渡利浄水場(創設当時)

創設編(明治~大正)

元来、福島市は良好な飲料水に乏しく、昔から井戸を掘っても良質な地下水が得られず、人々のほとんどは市内の小川の水をそのまま飲み水にしていました。

明治11年(1878)、町内有志の尽力により、当時の泉村、柳清水の湧水を松の箱樋を使い引水したのが簡易水道のはじまりです。

その後、順次拡張され、 設備は町有として松のくり抜き管に改め、水源も清水村森合の湧水による増強が行われました。

創設以前の簡易水道の水源 工事で発掘された松のくり抜き管の写真
柳清水水源                  松のくり抜き管

大正14年当時の市役所の写真

福島市役所(大正14年当時)

しかし、水源の水量不足と衛生面から上水道布設の要望が高まり、中島鋭治博士に 委嘱し設計案を作成し、市議会の議決を経て、大正10年(1921)3月に認可を得ました。

水源は阿武隈川とし、隣村渡利村弁天山に取水塔設け、浄水場内 のポンプ井に導水し、沈澱池2池を経て緩速ろ過池3池に導き、高揚ポンプによって弁天山上の配水池2池に揚水され、それにより市街地へ給水するものです。
計画給水人口50,000人、計画1日最大給水量5,550m3の規模でした。

工事は、大正11年4月1日着工し、3ヵ年の歳月を費やし同14年3月末に完成しました。
同年5月6日に松齢鉄橋の竣工式と併せ盛大な通水式が挙行されました。

福島市の水道は、全国50番目の近代水道創設となりました。

渡利浄水場起工式の様子の写真 創設水道を設計した中島鋭冶博士の写真
渡利浄水場の起工式(大正11年)        中島鋭治博士

中島鋭治博士 なかじま えいじ (1858~1925)
東京帝国大学教授、「近代水道の父」ともいわれる。
アメリカ、ドイツなどに留学し、衛生工学・水道工事・橋梁学等を修め、ヨーロッパの上下水道・土木工事・ローマの給水法を調べ 、東京をはじめ、日本や満州の多くの近代水道施設を造った。

創設当時の阿武隈川の取水塔の写真

取水塔(創設当時)

建設中のレンガ造の弁天山配水地の写真

弁天山配水池(工事風景)

蒸気機関のローラーの写真

建設風景(大正11年)

渡利浄水場の管理事務所の写真

渡利浄水場管理事務所(大正14年)

市役所前での放水試験の写真

放水試験の様子(大正14年)

拡張編(昭和~平成)

通水後、年を追って人口が増加し、昭和4年(1929)の夏には給水量が連日給水能力を突破する勢いであったため、翌5年には全量計量制を採用し、メータを設置することにより、市民の節水を促し、拡張工事を繰延べすることができました。

第二次世界大戦後は、復員や連合軍の進駐に伴って給水量が増大し、給水不足により水圧低下と時間給水を繰り返し、困窮しました。

そのため、昭和22年7 月国の認可を得て、第1次拡張事業を着工し渡利浄水場のろ過池1池と取水、送水ポンプ各1台増設しました。
また、翌23年6月には第2次拡張工事を着工 し、八島田地内の旧簡易水道の湧水に水源を求めました。
さらに、昭和25年より第3次拡張事業に着工、清水水源ポンプ所の新設を行いました。

清水水源ポンプ所の写真 信夫山に建設された森合配水池の写真
清水水源ポンプ所(第3次拡張)      森合配水池(第3次拡張)

水道管の埋設工事の様子の写真

当時の工事風景

その後、市勢の伸展と近隣町村の合併、市民生活の向上による水需要の増加に対処するため、昭和33年から第4次、第5次拡張事業が実施され、渡利浄水場の沈澱池と緩速ろ過池を改良するとともに、急速ろ過設備の設置や、宮代水源ポンプ所の新設を行いました。

渡利浄水場の緩速ろ過池と5拡の急速ろ過池の写真

渡利浄水場(第4次拡張)

しかし、給水人口の伸びは計画をはるかに上回り、水不足は明らかとなってきました。
 加えて主水源である阿 武隈川は、年々水質悪化が進み、創設当時の緩速ろ過では処理しきれない状態となりました。

そのため、昭和45年より第6次拡張事業を行い、取水量の増量、 緩速ろ過施設から急速ろ過への改良と異臭味対策として全国初の粒状活性炭ろ過設備の設置をするとともに、水不足に対処するため笹谷水源を新設しました。

また、第6次拡張事業施工中の昭和48年夏は、異常気象により、井戸水は枯渇し飲料水に事欠く地域が発生したため、給水区域の拡大を実施しました。

昭和51年当時の水道事業は、福島市上水道事業のほか、飯坂・信夫・庭坂上水道と荒井・笹木野・松川広域・土湯・高湯簡易水道事業の8ヶ所の水道事業の集合体となっておりましたが、これらの統廃合を図るため、翌52年第7次拡張事業を着工しました。

また、昭和57年には、増加する水需要に対応するため、阿武隈川からの暫定水利権取得による渡利浄水場の拡張を行い、併せて下野寺水源ポンプ所を新設しました。

7拡で完成した渡利浄水場の写真

渡利浄水場(第7次拡張) 施設能力 93,880m3/日

これからの水道

このように、昭和22年の第1次拡張事業から7次にわたる拡張事業の間に開発した水源は地下水等が主であり、小規模水源では、将来の水需要をまかなうこ とはできないため、長期的な展望に立ち、摺上川ダムにおける水源の確保に取り組むとともに、福島地方水道用水供給企業団からの受水を基本とする第8次拡張 事業に平成元年(1989)から着工しました。受水・配水施設の築造や送・配水管網の整備を行うものです。

平成15年、ダム完成前に企業団からの暫定受水を開始しましたが、平成19年からの本格受水に向けて、より安全でおいしい水の供給を行うため、渡利浄水場を廃止することとしました。

摺上川ダムへの水源一元化に向けた施設整備を計画し、平成16年3月に第8次拡張事業の内容を変更いたしました。
目標年度は平成22年度で、総事業費は274億8千6百万円となります。

平成17年秋、本市の長年の念願であった摺上川ダムが完成し、これにより将来にわたり安定で良質な水源を確保することができました。

今後は、この水をいかに守り、安定供給の確保を図るとともに、経営の効率化やお客様ニーズにあった事業運営を行うかが課題となります。
 私たちは、市民のみなさんと協働して水環境を守りながら最高の給水サービスに挑戦し、人々の求める「快適でうるおいのある市民生活」の実現を目指します。

水道は、市民生活にとって、かけがいのないライフラインです。通水90年の歴史を振り返り、先人の苦労に思いを寄せながら、私たちは将来にわたって市民のみなさんが安心して水道を使用できるよう今後もその責任を果たしてまいります。

摺上川ダムの航空写真(最高水位到達時H17.4.9)の写真

摺上川ダム(国土交通省)

すりかみ浄水場の写真 すりかみ浄水場管理本館の写真
すりかみ浄水場(福島地方水道用水供給企業団)  すりかみ浄水場管理本館(同企業団)

受水施設

北部配水池の写真
北部配水池

構  造 PC造
容  量 9,300m3(1池)
完  成 平成12年3月
水  位 HWL+138.00m
LWL+130.00m


中央部受水池

構  造 RC造
容  量 15,000m3(2池)
完  成 平成15年3月
水  位 HWL+160.00m
LWL+155.00m

南部受水池の写真
南部受水池

構  造 PC造
容  量 7,500m3(2池)
完  成 平成14年12月
水  位 HWL+275.00m
LWL+267.00m

お問い合せ先
連絡先 営業企画課 企画推進係
TEL 024-535-1120