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更新日:2024年11月26日

開催報告(出張展示)

【開催報告】郷土史料室出張展示「南奥文化博物館の思い出~創設70周年記念~」

 かつて、福島市霞町(橘高校の東側)に「南奥文化博物館」がありました。
 創設者の宮内冨貴夫氏(1907―1958)は、幼い頃から古銭などに興味を持っていて、昭和2 (1927)年仕事の関係で長野県から福島市に移り住みました。
 少年時代から趣味で収集した民俗資料も多く、風俗資料などを加え幅広いコレクションとなりました。
 昭和29 (1954)年5月、自宅に収蔵していた資料を「南奥文化博物館」として、自費で霞町に開館して公開し、市民をはじめ多くの人々に親しまれました。「お金の歴史」「時計の歴史」などの展示会も開催され、ノートを手にした子供達の姿がたえなかったといわれています。
 しかし、病気などにより閉館せざるを得なくなり、貨幣史資料、時の資料、灯火などに分類展示されていた貴重な資料は、昭和31 (1956)年福島市に寄贈されました。
 現在、郷土史料室では寄贈された資料約15,000点を収蔵しており、定期的に行われる出張展示で展示しております。
 今年は、「南奥文化博物館」の創設70周年の記念すべき年ということもあり、宮内氏の寄贈された膨大な資料の中から、貴重な資料や過去の展示会で好評であった資料等、厳選して今回展示しました。

 

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                南奥文化博物館
               開館:昭和29(1954)年
               閉館:昭和31(1956)年

 

 

 

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                                                      展示会場の様子

 

◎「南奥文化博物館の思い出~創設70周年記念~」の概要
1 期 間
   令和6(2024)年11月12日(火)から21日(木)まで

2 時 間
   9:00~16:30

3 会場
   AOZ(アオウゼ) 大活動室4

4 主な資料(展示物)

                                            

          阿武隈川舟運圖(福島県指定重要文化財=福島市蔵)

 「阿武隈川舟運圖」は、軸装された紙本着色の巻物仕立てで、その寸法は幅30.9㎝、長さ13m39.7㎝である。製作者は江戸の廻船問屋上総屋幸右衛門と考えられる。絵師は不明である。阿武隈川の舟運を安全に運行できるように作られた水路図で、明和6~7(1769~70年)頃に作られた。
 福島城の南に隣接して設けられた「福島河岸」を起点とした阿武隈川下流舟運のうち、陸奥國伊具郡丸森村(現宮城県丸森町)の「水沢河岸」までの川筋を描いたものである。
 阿武隈川の流れを画面の中心にした構図で、両岸に連なる道沿いの集落は墨色に淡彩を施して仕上げ、梅と思われる明るい花木を点じている。簡単であるが、城下町や陣屋のある街村もよく特徴をつかみ、両岸に点在する社寺は勿論のこと、名のある史跡や名所なども、よく押さえて描かれている。舟運の積荷を上げおろしした場所(河岸)は明るい黄色の楕円形の中に河岸名を書き、幕領・私領の陣屋(代官所)は同じ黄色地の長四角形の中に書いて、一般的な集落とは区別している。
 特に阿武隈川の流れについては、よく緩急を捉えて表現されており、中でも、岩をかんで激流の泡立つ急所(これを土地の古老たちは今もなお滝と呼んでいる)については、水色に胡粉の白を利かして流れを強調し、滝壺や岩に砕け散る波は装飾的な巧みな表現で現わしている。そして、これらの瀬あり、滝あり、巻(渦巻)のある川の、どこを通るべきかを一筋の赤い線で示している。わけても流れの深いミヤウ(深い水路、澪をいう)については、渇水・満水の時期によってどちらを選んだらいいかの指示を示した個所もあり、まさに舟運のための本来の姿が顕著に発揮されている。
 さらに、こうした水路の目的として、多くの要所を占める「見付石」をはじめ、「〇〇滝」や「〇〇巻」を描き示して、難所を越える船路を明らかにしている。(本文ママ)

                                         「阿武隈川舟運図」(解説 大村三良)より

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                                                                            古代の貨幣
 殷(いん)時代の中国(紀元前1600年頃)には貝を貨幣とした「貝貨(ばいか)」というものがあり、南方の海から入手したタカラガイの貝殻を貨幣としていました。その名残りでお金に関するものには財・貨・買・貯など、「貝」の字が使われるようになりました。その後、石や獣骨で倣製貝貨が造られるようになりました。周代後期(紀元前1100年頃)になると青銅が貨幣に使われるようになり、タカラガイを模した銅の倣製貝貨も作られました。その後、春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)になると鍬や鋤をかたどった「布貨(ふか)」(紀元前350年)、刀を模した「刀貨(とうか)」(銅製の尖首刀・円首刀・方首刀・反首刀など)が現れました。周時代末には丸形角穴の硬貨になり日本の貨幣鋳造に影響を与えました。
 貨幣が鋳造される以前の日本では、米、穀物、綿布、絹、食塩、鉄器、皮革などの生活必需品や勾玉などの装飾品を物々交換して生活していました。貨幣は物の交換媒体としての価値を持ち、社会に通用するものでなくてはいけません。また、その貨幣自体が本来交換されるものと同等の価値を持ち、絶対的な信用が求められます。そこではじめは貝や刀銭(青銅)などを貨幣とし、その後は金・銀・銅などの普遍的な価値を持つ金属が硬貨(砂金、銀塊も含む)の材料として用いられました。
 「和同開珎(わどうかいちん)」は奈良時代に律令政府が和銅元(708)年に初めて公銭として鋳造・発行したものです。和同銭を作るに際して重さを1匁(3.75g)、貨幣の直径は1文(2.4cm)と規格が定められました。この時に決まった量目はその後銅銭の目方を決めるときの基調となりました。ところが和同銭の後の皇朝十二銭の時代になると、実際には1匁以下のものが多く、規定は必ずしも守られていませんでした。都では流通していた和同開珎ですが、地方では物々交換が主であったため、貨幣の流通に苦労したと言われています。当時は1文が米1升と言われていました。
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                                                                        江戸時代の貨幣
 江戸時代は、金貨・銀貨・銭貨の三貨を使用し、同価値に複数の貨幣がありました。「小判」1枚と「丁銀」(50~60匁)が同じ価値で、「一分金」と「一分銀」が同じ価値でした。庶民は、江戸時代初期まで輸入銭(永樂通寳)や「寛永通寳」、私造銭など多種多様の銅銭を使用していましたので、徳川家康は貨幣制度の統一のため、価値基準となる大判、小判、一分判金の3種類の「金貨幣」と丁銀、豆板銀の2種類の「銀貨幣」を製造しました。しかし時代が進むと、財政悪化のたびに順次改鋳して、金・銀の含有量を減らしたため貨幣の価値は次第に下がっていきました。江戸時代末期になると各藩では、流通貨幣の不足や天災・飢饉などを理由に、米、炭、銀等の兌換(だかん)紙幣である藩札を発行したり、大型銅銭を鋳造したりするようになりました。

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                                                 西郷札(さいごうさつ)
 西南戦争時に西郷隆盛率いる薩摩軍が軍費調達のために発行した軍用紙幣です。日本初の軍用手票(軍票)といわれていますが、反政府軍の薩軍が発行した紙幣のため、厳密には軍票に入らない、との見方もあります。明治10(1877)年に勃発した西南戦争で薩軍は当時の金額で70~100万円ともいわれる戦費が掛かったといいます。当初は用意していた官金15万円と、士族商社の証券の売却金を回し、さらに住民に警察費を納めさせるなどして賄っていました。しかし戦費不足が深刻化したため、桐野利秋が発案した軍用紙幣の発行を西郷隆盛らは決定しました。布製で耐水性のあるインクを使用、木版印刷で通用期間3年の不換紙幣でした。これが西郷札です。西郷札は明治10年7月7日から同月31日にかけて発行されました。券種は6種で拾円・五円・壱円・五拾銭・弐拾銭・拾銭が流通しました。総発行高は14万円とも、17万円とも言われています。西南戦争後は明治政府によって西郷札の使用は厳禁とされ、没収、破棄されました。市中に出回った西郷札の補償は行われず、特に西南戦争の戦場になった九州の地域には、経済に大混乱をもたらしました。それでも庶民の間では西郷隆盛の人気が高く、西郷札がお守りとして珍重されたということです。

                                                         nanou11-4

 

                                                              錦絵(浮世絵版画)=江戸時代
 浮世絵とは、江戸時代に流行した当世風・享楽的な意味の風俗画のことで、評判美人の美人画、役者絵、芝居絵、武者絵など幅広い題材に満ちていました。江戸時代に誕生した日本画のジャンルの一つです。「浮世」とは元々、「現代風な」「当世風な」といった意味を持っており、浮世絵で描かれるテーマは、その時代の暮らし、風俗、流行が反映されています。つまり浮世絵は江戸時代から明治時代に描かれた風俗画のことでした。また「錦絵」は多色摺りの浮世絵木版画のことを指します。錦の織物のような華麗さが名前の由来です。錦絵は浮世絵の手法の一つということです。菱川師宣は、肉筆画や墨一色摺りで一般庶民の生活や遊女などを描き、浮世絵の始祖と呼ばれています。18世紀中頃までが浮世絵の初期といわれ、鳥居清長(とりいきよなが)、宮川長春(みやがわちょうしゅん)、奥村政信(おくむらまさのぶ)などが健康的な人物をおおらかに描きました。浮世絵は絵師、彫師、摺師の分業体制が確立され、まとまった部数を摺ることができたため、廉価で販売されるようになりました。初期の浮世絵版画は黒一色摺りの上から、紅がら・丹・黄土を手彩色しており、紅摺絵と(べにずりえ)呼ばれていました。明和2(1765)年に鈴木春信(すずきはるのぶ)を中心とする多色摺りの技術が飛躍的に進歩しました。浮世絵の版元が華やかな擦物を春信に依頼したことから、錦絵が完成しました。そんなことから鈴木春信は錦絵を大成させた、といわれています。これ以降が浮世絵中期と呼ばれています。喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)などの絵師によって人物描写が個性や心情に肉薄する傑作が生み出されました。役者や美人を題材にした大首絵、似顔絵などが発達しました。また後期の代表的な絵師の葛飾北斎(かつしかほくさい)、歌川広重(うたがわひろしげ)、歌川国芳(うたがわくによし)らは風景画と花鳥画に新境地を打ち立てました。

                                                            nanou12-2

 

                                                              
                                                           錦絵(浮世絵版画)=明治時代
 明治時代になると絵師たちは、洋風建築、汽車、洋装の紳士・淑女など文明開化の新様相を描写しました。錦絵は新聞用になって、芸術性は失われましたが、物語の挿絵などで活躍します。明治時代の有名な絵師は大蘇(月岡)芳年(たいそよしとし)、楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)などですが、小林清親(こばやしきよちか)は光と影を巧みに表現した風景版画で江戸から移り変わって行く東京の姿を表現しました。この当時庶民向けの総ルビ付き、ひらがな混じり雑報や連載小説など、娯楽中心の大衆新聞が登場します。「東京日日新聞」や「郵便報知新聞」などで、内容は事件もの、孝行美談、珍談奇問などでした。19世紀後半に、パリ万国博覧会(慶應3=1867年)に浮世絵も出品されジャポニスムブームが起こります。ゴッホやモネなど欧州の印象派の画家に大きな影響を与えました。
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展示資料

   交通

1

新鐵道唱歌 奥羽線

昭和4(1929)年4月8日

2

阿武隈川舟運図

江戸後期

3

日本鐡道氣車發着時刻及賃金表

明治22(1889)年7月8日

4

蒸気車

組上げ絵

5

のりもの尽

明治29(1896)年3月27日 ものづくし絵

   遊具

6

押絵羽子板

演目「暫」の一場面

7

描絵羽子板

神功(じんぐう)皇后と応神天皇

8

豆満喜雙六

文久元(1861)年 一鵬斎芳藤画

9

東海道五十三驛遊山壽古録

明治19(1886)年10月 鹿斎春曉筆

10

雙陸獨稽古

文化8(1811)年

11

双六盤

年代不明

12

志ん板玩尽

ものづくし絵 國利画

13

漫画動物の國探険双六

昭和23(1948)年10月30日 中野正治作

14

独楽

木、鉄

15

銭独楽(寛永通寳四文銭)

貨幣を独楽に加工

16

貝合せ

10対 江戸時代?

17

凧絵の版木 金太郎と鯉

 

18

馬乗づくし

ものづくし絵 歌川芳虎画

19

新板浄瑠璃双六

一寳斎國盛画

20

假名手本誠忠壽古六

一雄斎國輝画

   経済

21

和同開珎

和銅元(708)年

22

神功開寳

天平神護元(765)年

23

永楽通寳

天正期~元和期(1573~1623年)

24

天保丁銀

天保8(1837)年

25

天保一分銀

天保8(1837)年

26

天保通寳百文銭

天保6(1835)年 本座銭 長郭

27

貿易一圓銀

明治3(1870)年

28

五十銭銀貨

明治3(1870)年

29

太政官札 五両

明治元(1868)年5月25日

30

民部省札 二分

明治2(1869)年11月15日

31

新紙幣 金十圓

明治5(1872)年6月25日

32

日本銀行兌換銀券旧一円券

明治18(1885)年9月8日

33

越中富山藩銭札 銭一貫文

江戸時代 藩札

34

陸奥弘前藩銭札 銭二十目

明治?年酉9月 藩札

35

西郷札 一圓

特殊紙幣 明治10(1877)年6月発行

36

駿河島田札 百文

明治2(1868)年 午7月限 宿場札

37

中国貨幣 骨製貝貨

殷時代(紀元前1400年頃)

38

〃      方足布

春秋戦国時代(紀元前770~紀元前221年頃)

   絵銭

39

六歌仙銭

年代不明

40

七福神銭

41

会津虎銭

明治45(1912)年

42

神馬銭

年代不明

   信仰

43

絵心経

44

魔訶般若波羅密多心経

〃折帳

   錦絵

45

摺上橋真景

明治6(1873)年12月吉日

46

江戸名所百人美女

江戸時代 豊國画

47

廣告

明治時代 記「若松七日町 斗量売捌所高野屋」

48

石版彫刻印刷業廣告

明治時代 記「岩代國若松町大字上桂林寺町三芳堂」

49

婦人諸禮式の図 婚禮

明治33(1900)年1月1日 楊州画

   灯り

50

有明行燈

年代不明

51

角行燈

52

提げ行燈

   報道

53

福嶋民報第1号(写真で展示)

明治25(1892)年8月1日

54

福島民報第5776号 

明治44(1911)年3月25日

55

鎮撫 鹿兒嶋新聞

明治9年2月15日

56

東京日日新聞第261附録

明治6(1873)年1月13日大礼服・通常礼服について

   その他

57

南奥文化博物館 参観の栞

昭和29(1954)年


 

 

 

 

 

 

【開催報告】郷土史料室出張展示「写真展 根子町人形」

 今回の写真展で、「福島にこんな土人形あったなんて、知らなかった!」と会場にお越しになった多くの方々からお話をいただきました。
 この根子町人形は、江戸時代奥州街道の宿場町であった清水町宿の土産物として造られた土人形です。
 根子町人形は、江戸時代から大正時代初期頃までおおよそ120年間造り続けられましたが、鉄道の開通とともに、宿場機能が失われ、土産物として売られた根子町人形は廃絶し、「幻の土人形」となってしまいました。
 しかし、近年、根子町人形の再現製作を始めた方がいらっしゃいます。幸田冬子さんです。写真のほか、幸田さん製作の再現作品も展示しました。
 今後、根子町人形が「幻の土人形」から「蘇る土人形」になることを願ってやみません。
 ここでは、「写真展 根子町人形」を簡単に振り返りたいと思います。

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             現在の清水町(令和6年9月撮影)

 

 

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                  会場の様子

 

◎「写真展 根子町人形」の概要

1 期 間
  令和6(2024)年9月3日(火)から12日(木)まで

2 時 間
   9:00~21:00

3 会場
  AOZ(アオウゼ) エントランスギャラリー 

4 展示した主な写真

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5 展示した再現作品(製作:幸田冬子さん)

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【展示写真等一覧】

No.

資料名

時代

備考

1

木彫大黒天像(もくちょうだいこくてんぞう)

文化11年(1814)12月

仙台屋 初代吉郎次作 原資料:出雲大神宮蔵

2

奉納絵馬「海波旭日飛鶴図」(かいはきょくじつひかくず)

文政8年(1825)8月

仙台屋 初代吉郎次作 原資料:出雲大神宮蔵

3

花笠 根子町人形

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

4

花笠 堤人形

時代不明

作者不明

5

女雛

江戸時代後期

仙台屋作

6

女雛

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

7

女雛

明治時代末期~大正時代

仙台屋作

8

男雛

明治時代末期~大正時代

仙台屋作

9

小鼓

江戸時代後期

仙台屋作

10

小太鼓

江戸時代後期

仙台屋作

11

坐り裃

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

12

坐り裃

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

13

坐り童子

時代不明

仙台屋作

14

坐り童子

時代不明

仙台屋作

15

ひょうたん乗り童子

江戸時代後期

仙台屋作

16

犬乗り童子

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

17

太鼓打童子

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

18

熊抱き金時

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

19

鯛かつぎ童子

江戸時代後期

仙台屋作

20

鯛乗り恵比須

江戸時代後期

仙台屋作

21

亀乗り鯛かつぎ大黒

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

22

二福神鯛かつぎ

江戸時代後期

仙台屋作

23

二福神川渡り

江戸時代後期

仙台屋作

24

俵乗り大黒

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

25

天神

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

26

熊谷直実(くまがいなおざね)

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

27

熊谷直実(くまがいなおざね)

時代不明

仙台屋作

28

敦盛(あつもり)

江戸時代末期~明治時代

仙台屋作

29

仁田四郎(にったしろう)

時代不明

仙台屋作

30

官女の舞

時代不明

仙台屋作

31

重ね餅

江戸時代後期

仙台屋作

32

蚕神(かいこかみ)

明治時代末期~大正時代

仙台屋作

33

随身(ずいじん)

江戸時代末期~明治時代

吉野屋作

34

三番叟(さんばそう)

江戸時代末期

吉野屋作

35

獅子頭持(ししがしらも)ち三番叟(さんばそう)

明治時代末期~大正時代

吉野屋作

36

福助(ふくすけ)

明治時代

吉野屋作

37

蚕神群像(かいこがみぐんぞう)

明治時代末期~大正時代

吉野屋作

38

「犬乗り童子」タネ(原型)部分

時代不明

仙台屋作

39

「熊金」タネ(原型)部分

時代不明

仙台屋作

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官女の舞 雌型(めがた)

時代不明

仙台屋作 ※実物展示

41

静御前(しずかごぜん) 根子町人形再現作品

令和5年(2023年)

幸田冬子作 ※実物展示

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鯛乗り恵比須 根子町人形再現作品

令和5年(2023年)

幸田冬子作 ※実物展示

43

鯛乗り恵比須(製作過程)根子町人形再現作品 

令和5年(2023年)

幸田冬子作 ※実物展示

 


 

 

 


 

 

【開催報告】郷土史料室出張展示「昔の暮らしと道具展」

 福島市郷土史料室には、市民の方々から多くの昔の道具が寄贈されており、今回の展示は、これらの資料を展示することで先人たちの知恵や工夫、どのように生活していたか伝えるため企画したものです。また、展示内容が小学校の教科書で紹介されているものであることから、小学生にも親しみのある内容でした。
 大人にとっては懐かしさがあり、子どもにとっては体験できるものであったので、これまでにない多くの方々に来場いただきました。ありがとうございました。
  今回の展示に関し、皆様からいただきましたご意見につきましては、今後の企画の参考にさせていただきます。

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                                            展示会場の様子

1 期 間
  令和6(2024)年7月2日(火)から11日(木)まで

2 時 間
  9:00~16:30

3 会場
  AOZ(アオウゼ) 大活動室4

4  主な資料(展示物)

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展示資料(順不同)

種類

資料名

【洗濯道具】                   

1

たらい

2

洗濯板[せんたくいた]

3

せっけん箱[せっけんばこ]

4

木の洗濯バサミ

5

電気洗濯機[でんきせんたくき]

6

電気脱水機[でんきだっすいき]

【衣服の道具】

7

裁縫箱[さいほうばこ]

8

火のし

9

こて・袴用こて[はかまよう]

10

炭火アイロン[すみび]

11

電気アイロン[でんき]

12

足踏みミシン[あしぶみ]

13

折りたたみ式くけ台・かけ針

【夏の道具】

14

ハイトリック(蝿取器)[はえとりき]

15

殺虫剤噴霧器[さっちゅうざいふんむき]

16

蝿取器(ガラス製)[はえとりき]

17

蚊帳[かや]

【冬の道具】

18

あんか

19

豆炭あんか[まめたん]

20

電気あんか

21

置きごたつ[おきごたつ]

【昭和30年代頃の茶の間】

22

蝿帳 [はいちょう]

23

扇風機[せんぷうき]

24

魔法瓶[まほうびん]

25

レコードプレーヤー

26

トランジスタラジオ

27

薬箱[くすりばこ]

28

湯呑み茶わん[ゆのみちゃわん]

29

茶筒・急須[ちゃづつ・きゅうす]

30

ちゃぶ台

31

レコード

32

黒電話[くろでんわ]

33

白黒テレビ

34

ブタの蚊取り線香[かとりせんこう]

35

掛け時計[かけどけい]

【日常を楽しむ】

36

ラッパ型蓄音機[らっぱがたちくおんき]

37

蓄音機[ちくおんき]

38

携帯用電動式蓄音機[けいたいようでんどうしきちくおんき]

39

電池式真空管ラジオ[でんちしきしんくうかん]

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真空管ラジオ[しんくうかん]

41

卓上型真空管ラジオ[たくじょうがたしんくうかん]

【台所の道具】

42

炭取[すみとり]

43

火箸[ひばし]

44

附木[つけぎ]

45

附木入れ[つけぎいれ]

46

火おこし

47

羽釜[はがま]

48

ささら

49

一升桝・斗掻[いっしょうます・とかき]

50

五合桝[ごごうます]

51

電気炊飯器[でんきすいはんき]

52

おひつ・しゃもじ

53

おひつ入れ・おひつ

54

保温ジャー[ほおん]

55

三段せいろ[さんだん]

56

しょうゆ徳利[とっくり]

57

酢徳利[すとっくり]

58

かめ

59

片口[かたくち]

60

鰹節削り[かつおぶしけずり]

61

菜切り包丁[なっきりぼうちょう]

62

まな板[いた]

63

アルマイト製の弁当箱[べんとうばこ]

64

盆ざる[ぼん]

65

六つ目編みざる[むつめあみ]

66

すいのう

67

しゃくし

68

心太突き[ところてんつき]

69

トースター

70

氷冷蔵庫[こおりれいぞうこ]

71

電気冷蔵庫[でんきれいぞうこ]

【写真】

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市民の憩いの場として親しまれた「隈畔」

73

にぎわう福島児童公園

74

中合デパート屋上にあった遊園地

【ちらし】

75

ナショナル 炊飯器

76

ナショナル 電機洗濯機

77

ナショナルダブルモーション式電気洗濯機

78

わかさや呉服店 蚊帳の広告

【昭和30年代雑誌・絵本】

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週刊平凡 特大号 昭和35年12月

80

週刊平凡 新装デラックス号 昭和37年9月

81

週刊明星 特大号 昭和37年11月

82

絵本 『いぬとねこ』

83

絵本 『きんたろう』

【昭和50年代雑誌】

84

月刊明星 5月号 (昭和53年)

85

月刊明星 6月号 (昭和53年)

86

月刊明星 7月号 (昭和53年)

87

月刊明星 6月号 (昭和55年)

88

月刊明星 7月号 (昭和55年)

 

 

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市民・文化スポーツ部 文化スポーツ振興室 文化振興課 郷土史料室

福島市松山町39番地の1

電話番号:024-563-7858

ファクス:024-563-7858

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