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更新日:2024年12月11日
令和6年12月7日(土)、福島市歴史人材養成講座フィールドワーク「福島の縄文文化・じょーもぴあ宮畑見学」を開催しました。
じょーもぴあ宮畑は、縄文時代中期から晩期までの約2,000年間にわたる、縄文時代の人々の生活を現在に伝える遺跡である「国史跡宮畑遺跡」を整備した公園で、平成27年8月8日に全面開園しました。
今回の講座は、2部構成で実施しました。第1部は「福島の縄文文化」の講演で、福島市には1000か所以上の遺跡がある等の説明がありました。第2部はじょーもぴあ宮畑の屋内・屋外の施設見学で、受講者は講師の方の説明に熱心に聞き入っており、多くの質問が出されました。
座学のみならず、施設見学も加わったことにより、受講者の縄文文化の理解も深まったようです。
このホームページでは、その施設見学の様子の一部を紹介します。
◎「福島の縄文文化・じょーもぴあ宮畑見学」の日時等
1 日 時
令和6年12月7日(土) 13:30~15:30
2 受講者
14名
3 施設見学の様子(一部)
①「福島の縄文文化」の講演
まずは、施設見学の前に「福島の縄文文化」の講演です。
講師は、じょーもぴあ宮畑の堀江 格 所長補佐です。
②施設見学(竪穴住居)
縄文時代中期の竪穴住居(復元)です。ひと家族(4~5人)が暮らしていました。受講者の皆さん(14人)が入っても、十分余裕がある広さでした。
③掘立柱建物
縄文時代晩期の掘立柱建物(復元)です。幼児のお墓との位置関係から、幼児をあの世におくるまつりに使われた建物と考えられます。宮畑遺跡で最大の柱を持つ、発見された建物群のシンボル的な建物です。
➃縄文時代、阿武隈川が流れていた場所
現在は、じょーもぴあ宮畑から西にかなり離れたところを阿武隈川が流れていますが、縄文時代は、写真のすぐ前方の段差あるところを流れていました。
⑤露出展示棟
3,500年前に祭りに使われた大量の縄文土器が見つかった場所を、発掘調査そのままの状況で展示しています。縄文時代に生きた人たちの息づかいを感じることのできる展示です。
⑥屋内の展示施設
屋内の展示施設は、宮畑遺跡で見つかった縄文土器や石器などを使って、縄文時代の四季の暮らしや文化などをわかりやすく伝える展示のほか、飯坂町東湯野で出土した「しゃがむ土偶」(国重要文化財)も展示してあります。
令和6年11月9日(土)、講座信夫山物語フィールドワーク「信夫山と福島の地質」を開催しました。
今回のフィールドワークは、元福島県立高校教諭の野中俊夫先生を講師に、また、元福島県遺跡の案内人会長 紺野義行さんをお迎えし、平坦な福島盆地の中に信夫山がある謎を解くため、フィールドワークを行いました。
今回は、その様子の一部を紹介します。
◎フィールドワーク「信夫山と福島の地質」の日時等
1 日 時
令和6年11月9日(土) 9:00~13:00
2 受講者
17名
3 コース
駒山公園(スタート)⇒太子堂駐車場⇒児童遊園北側⇒文化センター前⇒春日町緑地(トイレ休憩)⇒岩谷観音⇒山神配水池西⇒ハイキング道路⇒第二展望台(トイレ休憩)⇒弘安の板碑⇒太子堂駐車場前(護国神社東側)
地図
4 フィールドワークの様子(一部)
●駒山公園
講師は、元福島県立高校教諭の野中俊夫先生(中央)です。先生は、日本地質学会・第四紀学会植生史学会の会員、元福島県自然環境保全審議会専門委員でもあります。写真左側は、紺野義行さん(前々回の信夫山の史跡めぐりの講師)です。
スタート地点の駒山公園です。
●太子堂駐車場
岩石の説明をする野中俊夫先生。
●太子堂駐車場
受講者の皆さんも、実際に岩石を手に取って理解を深めます。
●太子堂駐車場東側
地層の走向や傾斜などについて、説明する野中先生。
●太子堂駐車場東側
野中先生が用意した器機(クリノメーター)で、受講者の皆さんが実際に地層の走向や傾斜を確認してみました。
●信夫山児童遊園北側
こちらでも、地層の走向や傾斜などについて、説明されています。
●音楽堂北側(幹線道路を挟んで北側)
信夫山児童遊園南側の歩道を歩いて文化センターを通過し、音楽堂の北側まで来ました。この地層からは火山灰のようなものが認められました。かつて火山活動が行われたようです。
また、この付近でも、器機(クリノメーター)で、受講者の皆さんが地層の走向や傾斜を確認しました。
●岩谷観音へ
歩道をさらに東へ歩き、岩谷観音に向かいます。
●岩谷観音磨崖仏
岩谷観音磨崖仏の地層・地質について、説明する野中先生。
●岩谷観音磨崖仏付近
ここでも、器機(クリノメーター)で、地層の走向や傾斜を確認しました。
●岩谷観音磨崖仏付近
魚の背骨などと思われる化石を見つけました。
●重箱石の南側(第二展望台付近)
重箱石の南側の岩石を見る受講生の皆さん。
●第二展望台
野中先生が、福島盆地をとりまく山々、盛岡・白河構造線、阿武隈川・北上川低地帯などについて、説明しています。
●第二展望台
信夫山ガイドセンターの下でも、岩石を器機(クリノメーター)で地層の走向や傾斜を確認しました。今回のフィールドワークで、かつて信夫山で火山活動が行われたこと、岩谷観音付近にある化石は海底時代の名残であること、複数箇所における地層の走向や傾斜の確認により、信夫山が残丘となったことを学ぶことができました。
●太子堂駐車場前(護国神社東側)
7月の座学から始まり、9月の歴史・10月の生物・11月の地質のフィールドワークの講座について、天候に恵まれ、すべて実施することができました。最後に、受講者の皆さんに修了証を授与させていただき、今年度の「講座信夫山物語」を終了しました。
受講者の皆さんはじめ、講師その他関係者の方々ありがとうございました。
令和6年11月2日(土)、福島市歴史人材養成講座フィールドワーク「飯坂の史跡と文化財巡り」を開催しました。
飯坂町には歴史的建造物や遺跡などが多く存在します。同日は、あいにくの雨でしたが、歩きながら同町の史跡と文化財について、学びました。
このホームページでは、そのフィールドワークの様子の一部を紹介します。
◎「飯坂の史跡と文化財巡り」の日時等
1 日 時
令和6年11月2日(土) 9:30~12:00
2 受講者
13名
3 コース
①飯坂学習センター⇒②花水坂⇒③飯坂温泉駅⇒④十綱橋(平成16年度 土木学会選奨土木遺産、令和2年4月3日 国登録有形文化財)⇒⑤西根下堰(取入口)⇒⑥三番坂⇒⑦目暗淵⇒⑧伊達一の頌徳碑⇒⑨狐湯の滝⇒⑩新十綱橋⇒⑪旧花水館 奥の間(平成10年4月21日 国登録有形文化財)⇒⑫旧堀切邸(令和2年4月3日 国登録有形文化財)⇒⑬鯖湖湯⇒⑭なかむらや旅館(平成10年4月21日 国登録有形文化財)⇒⑮旧採進堂酒店(令和元年9月10日 国登録有形文化財)⇒⑯湖辺り坂⇒⑰八幡神社(令和2年11月6日 市指定有形文化財)⇒⑱飯坂学習センター
※雨天などのため、⑦目暗淵、⑨狐湯の滝、⑮旧採進堂酒店、⑰八幡神社は、省略しました。
4 フィールドワークの様子(一部)
①集合場所:飯坂学習センター
講師は、飯坂史跡保存会 顧問の小柴俊男さん(中央右側)です。
〇須恵器の大甕(飯坂学習センター内展示)
須恵器の大甕を説明する小柴俊男さん。
須恵器の大甕は、平安時代(9世紀)の竪穴住居跡で出土しました。大きさとしては国内でも最大級で、完成に近い形で復元できることは非常に珍しいことです。
なお、出土した場所(月崎遺跡)は、飯坂支所・学習センター駐車場です。
②花水坂
明治のはじめまで、近くに天台宗の花水山孝徳寺という寺がありました。その寺へ登る坂が花水坂と呼ばれていました。新しく道が開かれても、旧名が残り、今も人々に親しまれています。
写真の石柱の文字は、元読売巨人軍・王貞治氏の直筆です。
➃十綱橋(③飯坂温泉駅から撮影)
大正4(1915)年に完成した我が国最古級の鋼アーチ橋です。平成16(2004)年に土木遺産に選定されました。その後、令和2(2020)年に国登録有形文化財となりました。
受講者の皆さんが十綱橋を渡っています。
⑤西根下堰(取入口)
摺上川の水を西根郷の水田に導く水路として江戸時代初期に上堰と下堰が掘削され現在も使用されています。
⑥三番坂
この坂の由来は、3番目の坂だといわれていますが、ここにはほかに坂がありません。また、ある説では堰の取入口が3番目だといわれていますが、定かではありません。
⑧伊達一の頌徳碑
摺上橋が落ちてしまい、その後に架けた十綱橋もなかなか安定しないことを苦にした伊達一が、橋の人柱になろうと摺上川と赤川の合流地点に入水自殺したという話があります。この人柱説は、昭和39 (1964)年頃に菅野円蔵氏が縁故者から聞き取りをもとに調査、発表したもので、それ以前には語られていなかったようですが、発表後、新聞などに取り上げられて広く知られるようになりました。しかし、事実かどうか、確証はありません。
⑩新十綱橋
新十綱橋は愛宕山の下の橋です。昭和37 (1962)年に着工し昭和41 (1966) 年3月に竣工しました。取付け道路の完成を待って同年9月に開通しました。
両側から建設していった橋桁を中央で剛結する構造計算が確立していなかったことから、中央部をPC鋼棒によりピン結合とするヒンジラーメン橋として竣工しました。
写真は、新十綱橋を渡る受講者の皆さんです。旧花水館に向かっています。
写真は、南側から見た新十綱橋です。
⑪旧花水館奥の間
明治30(1897)年建築の書院造り十畳二間の座敷は昭和天皇をはじめ皇族方の宿泊所とされました。平成10(1998)年に国登録有形文化財となりました。当日は雨で、建物の中には入れませんでした。
⑫―1 旧堀切邸
江戸期の豪農豪商、明治以降も政治家等を輩出した堀切家の邸宅です。邸内の十間蔵は市指定有形文化財ですが、それ以外の邸内の6棟(主屋、新蔵、中の蔵、道具蔵、書庫、表門)については、令和2(2020)年に国登録有形文化財(建造物)となりました。
⑫―2 旧堀切邸
初めに、旧堀切邸のDVDを視聴しました。
⑫―3 旧堀切邸
2班に分かれて、邸内の見学をします。
⑫―4 旧堀切邸
市指定有形文化財の十間蔵から見学を始めました。
⑫―5 旧堀切邸
建物のなかも見学しました。案内してくださったのは、ガイドの高橋さんです。
⑬鯖湖湯
松尾芭蕉も入浴したといわれる飯坂最古の共同浴場です。もともと現在の鯖湖公園にありましたが、平成5(1993)年に改築移転されました。
⑭なかむらや旅館
土蔵造り三階建ての旅館建築で、本館は江戸時代、新館は明治20年代の築造です。内部の造作も見事で、平成10(1998)年、国登録有形文化財となりました。この建物の東側に同じく国登録有形文化財の旧採進堂酒店(※)があります。
※旧採進堂酒店
当日は、時間の関係で正面からの見学はしませんでしたが、旧採進堂酒店の建物です。明治中期の切妻造二階建て建造物で酒店の看板や土蔵を含め飯坂の伝統的町家の構成を伝え、令和元(2019)年、国の登録有形文化財となりました。右側の白い壁の建物は、なかむらや旅館です。
⑯湖辺り坂
鯖湖坂と並んでいる坂で、「鯖湖湯」のあたりにあるためにこのように呼ばれていると伝えられています。伝承されている「透達湯」の由来によれば、俵籐太が大百足退治後に鯖湖湯の近くにある湖で百足の血を洗い流したと伝えられています。
⑱解散場所:飯坂学習センター
終了予定時間の正午を若干過ぎましたが、無事終了することができました。講師の小柴俊男さん、受講者の皆さん、雨のなか、お疲れさまでした。
次回(12月7日)、受講者の方々は、じょーもぴあ宮畑を見学します。
令和6年10月26日(土)、講座信夫山物語フィールドワーク「信夫山の植物」を開催しました。
今回のフィールドワーク(「生物」)は、福島大学共生システム理工学類教授の黒沢高秀先生を講師に、また、同学類生物多様性保全研究室客員研究員の猪狩資子さん及び元福島県遺跡の案内人会長 紺野義行さんをお迎えし、信夫山の植物を観察するフィールドワークを行いました。
今回は、その様子の一部を紹介します。
◎フィールドワーク「信夫山の植物」の日時等
1 日 時
令和6年10月26日(土) 9:00~12:00
2 受講者
18名
3 コース
駒山公園(スタート)⇒たんたら清水⇒小金山公園⇒第二展望台⇒弘安の板碑⇒太子堂駐車場前(護国神社東側)
◎信夫山の植物の特徴
1 主な植生はアカマツ林、コナラ林、スギ林
2 カシ類などの暖帯系も見られる。
3 かつては湿原もあり、トキソウなども見られた。
4 暖帯系と冷温帯系の植物が混在する。
このようなことを踏まえ、今回のフィールドワークを行いました。
地図
4 フィールドワークの様子(一部)
●駒山公園
講師は、福島大学共生システム理工学類教授の黒沢高秀先生(左から2人目)です。専門分野は、植物分類学です。また、同学類の客員研究員の猪狩資子さん(左から1人目)、前回(フィールドワーク「信夫山の史跡めぐり」)の講師 元福島県遺跡の案内人会長 紺野義行さん(右から1人目)にも参加していただきました。
スタート地点の駒山公園です。
●駒山公園
欅(けやき)の葉の説明をする黒沢先生。
葉っぱの付け根に注目。これは、欅(けやき)の種です。枝先ごと風に運ばれます。
ノコンギク(キク科)です。福島市の人里に最も多い野菊の1つです。野菊は、ほかにシラヤマギク、シロヨメナ、ユウガギクがあります。
ドングリを拾っている受講者の方々。食べることもできますが、雑菌等がついている可能性もあるので、おすすめしません。
●しのぶ山会館付近の擁壁
ノブドウの木です。この実は食べることはできません。青や紫の色がついて、実が大きくなってるのは、中に虫が入って「虫コブ」になっています。
●太子堂駐車場前
「ナラガシワ」の木があります。この実(ドングリ)は大きめの細長いドングリですが、あまり落ちていないので、拾った方は嬉しそうでした。
●黒沼神社
黒沼神社の北側の道路を進んでいきます。
黒沼神社の鳥居の脇に、ヒサカキの木があります。
かつて、黒沼神社敷地の北西側に建物がありましたが、その建物を取り壊したところ、 赤い囲み枠の草が生えてきたそうです。
●黒沼神社~たんたら清水
写真中央部に見えるのが、スギ(ヒノキ科)です。 スギは建材として有用なもので、国土の10%以上に植林されています。昔は、低地で森林を作っていました。 来年の雄花がすでに作られています。
●黒沼神社~たんたら清水
アカマツの大木です。 信夫山の主な植生の一つです。
●たんたら清水
水量は少ないですが、年中かれることなく水が岩壁からしたたりでています。昔は信夫山にはこのような湧水地がいまよりありましたが、 現在はたんたら清水を含め、数少なくなっています。
●雷神碑と蛙石(びっき石)
今回は生物のフィールドワークですが、歴史のフィールドワークの講師 紺野義行さんも参加されていましたので、たんたら清水を
過ぎた後、雷神碑と蛙石(びっき石)を案内していただきました。
写真は、現地に向かう受講者の方々です。
雷神碑(左)と蛙石(右)です。蛙石は、口を真一文字に結び、目を見開いているように見えます。
この石のある峰を「鶏頭森」といい、農民の雨ごいの祈祷場だったそうです。
●小金山公園付近
小金山公園の付近に、昔の果樹園の石垣がありました。
●第二展望台に行く途中
ビワの木の説明をする猪狩資子さん。
●第二展望台
第二展望台で、10分程度休憩です。
●第二展望台~弘安の板碑
ヤダケ(イネ科)について、説明する黒沢先生。海岸部に自生する笹の仲間です。弓矢の材料に使われ、おそらく古くに植えられたもので、信夫山にはあちこちに見られるとのことです。
●第二展望台~弘安の板碑~太子堂駐車場前(護国神社東側)
帰路の途上、ゆず畑の近くの道路脇に、アレチウリが生育していました。この植物は特定外来生物に指定されています。
●第二展望台~弘安の板碑~太子堂駐車場前(護国神社東側)
帰りは右側のゆずの木を見ながら、太子堂駐車場前(護國神社北側)に戻りました。最初に記した「信夫山の植物の特徴」を確認することができたフィールドワークでした。
令和6年10月19日(土)、フィールドワーク「城下町を歩こう」を開催しました。
今回のフィールドワークは、福島城を中心に、私たちの今につながる城下町の名所・旧跡をめぐるもので、一般参加者の方々が、福島市歴史人材養成講座の受講者の方々が10月5日に歩いた同じコースを歩くものでした。
このホームページでは、その様子(一部)を紹介します。
◎「城下町を歩こう」の日時等
1 日 時
令和6年10月19日(土) 9:30~12:00
2 参加者
20名
3 コース
①大佛城阯碑⇒②福島城址碑⇒③大佛城宝塔⇒④板碑⇒ ⑤福島城土塁⇒⑥密語橋(ささやきばし)⇒⑦御倉邸⇒⑧福島河岸⇒⑨中村呉服店跡⇒⑩宝林寺⇒⑪宅宝院⇒⑫柳稲荷⇒⑬信夫橋⇒⑭常光寺⇒⑮真浄院⇒⑯誓願寺⇒⑰康善寺⇒⑱米沢口(庭坂口)跡⇒⑲古関裕而生誕の地記念碑⇒⑳到岸寺⇒㉑福島縣里程元標(復元)・福島市道路元標⇒㉒福島城大手門跡
地図
4 フィールドワークの様子(一部)
〇集合場所:県庁自転車置き場
①大佛城阯碑
②福島城址碑
➂大佛城宝塔
➃板碑
⑤福島城土塁
⑥密語橋(ささやきばし)
⑦御倉邸
⑧福島河岸
⑨中村呉服店跡
⑩宝林寺
⑪宅宝院
⑫柳稲荷
⑬信夫橋
⑭常光寺
⑮真浄院
⑯誓願寺
⑰康善寺
⑱米沢口(庭坂口)跡
⑲古関裕而生誕の地記念碑
⑳到岸寺
㉑福島懸里程元標(復元)・福島市道路元標
㉒福島城大手門跡
㉓解散・県庁
令和6年10月5日(土)、福島市歴史人材養成講座フィールドワーク「城下町を歩こう」を開催しました。
江戸時代、福島は板倉家の治める福島藩の城下町でした。明治維新以降、近代化がはかられ、町の様相は大きく変化しましたが、かつての奥州街道をはじめとする町筋は依然として城下町当時を色濃く反映しています。
今回の講座では、福島城を中心に、私たちの今につながる城下町の名所・旧跡をめぐりました。
このホームページでは、フィールドワークの様子の一部を紹介します。
◎「城下町を歩こう」の日時等
1 日 時
令和6年10月5日(土) 9:30~12:00
2 受講者
14名
3 コース
①大佛城阯碑⇒②福島城址碑⇒③大佛城宝塔⇒④板碑⇒⑤福島城土塁⇒⑥密語橋(ささやきばし)⇒⑦御倉邸⇒⑧福島河岸⇒⑨中村呉服店跡⇒⑩宝林寺⇒⑪宅宝院⇒⑫柳稲荷⇒⑬信夫橋⇒⑭常光寺⇒⑮真浄院⇒⑯誓願寺⇒⑰康善寺⇒⑱米沢口(庭坂口)跡⇒⑲古関裕而生誕の地記念碑⇒⑳到岸寺⇒㉑福島縣里程元標(復元)・福島市道路元標⇒㉒福島城大手門跡
地 図
4 フィールドワークの様子(一部)
〇集合場所:県庁自転車置き場
①大佛城阯碑
②福島城址碑
➂大佛城宝塔 ➃板碑
⑤福島城土塁
⑥密語橋(ささやきばし)
⑦御倉邸
⑧福島河岸
⑨中村呉服店跡
⑩宝林寺
⑪在宝院
⑫柳稲荷
⑬信夫橋
⑭常光寺
⑮真浄院
⑯誓願寺
⑰康善寺
⑱米沢口(庭坂口)跡
⑲古関裕而生誕の地記念碑
⑳到岸寺
㉑福島懸里程元標(復元)・福島市道路元標
㉒福島城大手門跡
㉓解散・県庁
令和6年9月28日(土)、講座信夫山物語フィールドワーク「信夫山の史跡めぐり」を開催しました。
信夫山は、昔から人びとの暮らしに深くかかわっており、信仰の中心地として多くの歴史・伝承・民話に彩られてきました。また、全国にもめずらしい街の真中にある里山として、豊かな自然環境を保ち、すぐれた展望や、健康と癒しを与えてくれています。
今年度は「歴史」「植物」「地質」の3分野に分けて、3回の信夫山のフィールドワークを行います。
初回である今回のフィールドワーク(「歴史」)は、元福島県遺跡の案内人会長 紺野義行さんを講師にお迎えし、信夫山の史跡めぐりを行いました。
今回は、その一部を紹介します。
◎「信夫山の史跡めぐり」の日時等
1 日 時
令和6年9月28日(土) 9:00~12:00
2 受講者
18名
3 コース
駒山公園(スタート)⇒祓川の石橋⇒太子堂駐車場⇒護國神社⇒黒沼神社⇒第一展望台(トイレ休憩)⇒薬王寺・薬師堂⇒念仏橋の板碑⇒御神坂⇒弘安の逆さ板碑⇒太子堂駐車場前(護國神社東側)(ゴール)
地図
4 フィールドワークの様子(一部)
●駒山公園
●祓川の石橋
●信夫山児童公園
●信夫山児童公園(東側から撮影)
●弁慶の足あと石
●大日堂跡
※参考:到岸寺
●太子堂駐車場南側
●護國神社
護国神社入口
護国神社正面
●黒沼神社
黒沼神社解説版
●第一展望台に向う受講者の皆さん
●第一展望台
●薬王寺
●薬師堂
●念仏橋の板碑
●御神坂
●七曲坂登拝路との合流地点
●天神宮
●羽黒観音
●羽黒神社入口・弘安の逆さ板碑
●おわりに
福島市歴史人材養成講座(公開)「福島の文化財」を開催しました。
福島市には、先人が守り、今まで受け継がれてきた貴重な文化財が数多く残されています。
現在、指定等を受けた文化財は、国指定等81件、県指定27件、市指定74件にのぼります。
今回の講座は、福島市の歴史の「ふれあいボランティア」でもある郷土史研究 村上博彦さんを講師にお迎えし、福島市の文化財について講演いただきました。
1 日 時
令和6年9月7日(土) 13:30~15:00
2 場 所
福島市市民会館第2ホール
3 受講者 67名
講演に使用した「福島市 指定・登録文化財マップ」
〇福島市指定・登録文化財マップ(全体)(PDF:8,325KB)
講師の郷土史研究家で、ふれあいボランティアでもある 村上博彦(むらかみ ひろひこ)さんです。
多くの市民の皆様に受講いただきました。
福島市歴史人材養成講座(公開)「西久保遺跡出土木簡を読み解く」を開催しました。
西久保遺跡は国道13号福島西道路改築工事に伴い、令和5年度から発掘調査を行っています(現在も継続中)。
これまでの調査で、全国初の「鎮兵」の2文字が書かれた木簡、役所の役割を持つ有力者の居宅、東北地方初となる奈良時代の水場遺構などが発見されています。
奈良時代から平安時代の竪穴建物跡、掘立柱建物跡、区画施設、水場遺構、土坑、溝跡、ピットなどの遺構、土師器、須恵器、中世陶器、木簡、金属器などの遺物が見つかっており、古代の信夫郡を語る上で貴重な遺跡であることがわかってきました。
今回の講座は、同遺跡の発掘に携わっている福島市振興公社 文化財調査室 上田優喜さんを講師にお迎えし、西久保遺跡と周辺の遺跡、西久保遺跡から出土した木簡などについて、多くの写真などを用いて説明していただきました。
現在、発掘調査が行われている遺跡についての講座でしたが、今後も、タイムリーな内容の公開講座を企画していきます。
1 日 時
令和6年8月10日(土) 13:30~15:00
2 場 所
福島市市民会館第2ホール
3 受講者 65名
講師の福島市振興公社 文化財調査室 上田優喜(うえだ ゆうき)さんです。
多くの市民の皆様に受講いただきました。
電力がなかった江戸時代の照明って?実際にミニサイズの「置き型行灯」を作ってもらい、行灯の種類や歴史を学んでいただくため、今回の工作講座を企画しました。
開催当日は、保護者の皆様に付き添われた小学生の皆さんから一般の方までと数多く参加され、ふれあいボランティアにアドバイスを受けながら、行灯を作っていました。
1 日 時
令和6(2024)年8月3日(土) 13:30~15:30
2 場 所
福島市市民会館301号室
3 参加者
19名
〇次のような「行灯(あんどん)」を作っていただきました。
考案と講師は、長年工作講座に携わっている福島市郷土史料室の酒井玲子です。
〇作業風景
完成です。明かりを灯してみました。※明かりは、LEDを使用しています。
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