ここから本文です。

更新日:2017年3月1日

古代のふくしま

古墳が発見される地域には、大和政権に仕えた豪族がいたと考えられています。古墳時代は3世紀中頃に始まりますが、市内最古の古墳は5世紀後半と考えられる稲荷塚古墳(下鳥渡)で、帆立貝のような形をしています。6世紀終わり~7世紀初めに造られた月ノ輪山1号墳(鎌田)では、大和政権から地方の豪族に与えられた頭椎大刀(かぶつちのたち)が出土しました。このように大和政権の力は次第に東北へも進出し、雄略天皇の時代頃に信夫(しのぶ)(福島)に国造(くにのみやつこ)(地方官)が任命されたと考えられています。大化2(646)年に大化の薄葬令(はくそうれい)が出されると豪族は古墳の築造をやめ氏寺(うじでら)を造るようになり、福島でも腰浜廃寺が建てられました。福島の地は大化の改新(645年)後の649年頃に信夫評、701年に信夫郡になります。また国は奈良時代に陸奥(むつ)→石背(いわせ)(いわしろとも読む)→陸奥と変わります。平安時代初め、延暦20(801)年には征夷大将軍坂上田村麻呂が4万の兵を率いて、蝦夷征討を行いました。田村麻呂の伝説は福島の地にも今なお数多く残っています。

平安時代中頃に入ると、律令制(りつりょうせい)が乱れ地方の有力豪族が私有地(荘園)を持つようになり、これを護る武士団も形成されます。この頃、東北を支配し始めたのは平泉(岩手県)に中尊寺金色堂の建立など独自の文化を花開かせた奥州藤原氏でした。信夫郡をおさめていたのは藤原氏の一族で佐藤氏です。市内には天王寺・医王寺(飯坂町)など佐藤氏を偲ぶ史跡も数多く、古代のロマンを感じることが出来ます。

前へ

次へ

略年表

このページに関するお問い合わせ先

市民・文化スポーツ部 文化スポーツ振興室 文化振興課 郷土史料室

福島市松山町39番地の1

電話番号:024-563-7858

ファクス:024-563-7858

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?