検索の仕方
ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・歴史 > 遺跡 > 西久保遺跡 > 【続報!】鎮兵木簡の新たな解釈!
ここから本文です。
更新日:2024年4月16日
高精細赤外線画像の解析により新たな解釈が明らかになりました。
当初は出羽国の国司からの書状と考えられていましたが、高精細赤外線画像の解析により陸奥国の国司からの書状であることが判明しました。
さらに木簡表面には20の文字の記載があり、文字の判読はできませんが裏面にも墨書きがあることも判明しました。
※赤字部分が今回判明部分
文字 |
「陸奥国司牒下野国司 鎮兵死□衆之状不罪□□〔郡郷カ〕」 (陸奥国司、下野国司に 牒す。 鎮兵死□ 衆の状 郡郷を罪せず ) |
よみ |
むつこくし しもつけのこくしに ちょうす。ちんぺいのし□おおきのじょう ぐんごうをつみせず |
内容 | 鎮兵の死亡が多いことについて、西久保遺跡周辺に留まっていた下野国司と鎮兵に対して、死亡は遺跡周辺の地域に落ち度がない旨を伝えた陸奥国司からの書状 |
年代 | 奈良時代はじめ頃(724年以降)から平安時代はじめ頃(806年) |
寸法 | 長さ29.6cm、幅2.5cm、厚さ1.1cm、樹種マツ |
『続日本紀』や『養老令軍防令』では、各地の国や郡は、衛士や防人の療養や死亡に一定の責務があることが書かれています。
今回の文字判明により、鎮兵も同様の取扱いをしていたことがわかりました。
このページに関するお問い合わせ先
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください