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更新日:2017年3月1日
福島宿(しゅく)は奥州街道(道中)の中でも大きな宿駅(しゅくえき)でした。米沢道や土湯越え会津道など奥州街道の分岐点としても重要であった福島宿は、信達地方の養蚕地帯としての商業取引や庶民のお伊勢参りなどの旅行者などでも大変賑わいました。福島町は7町(柳町・荒町・中町・本町・上町・北南町・馬喰町(ばくろうちょう))からなり、「本通り七ヶ町」と呼ばれました。
元禄(げんろく)2(1689)年に松尾芭蕉と弟子の曾良は福島町に宿をとります。翌朝2人は岡部の渡しを渡り、文知摺観音を訪れています。この地で芭蕉は一句詠んでいます。曾良の「日記」には「五月女に しかた望ん しのぶ摺」(この句はふくしま南幼稚園南側の句碑に残る)とあり、それが「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」となり、「ほそ道」の句となりました。2人は再び月輪の渡しを渡り飯坂に向かいました。
このほかにも、福島の名所を芭蕉は訪れて多くの句を詠んでいます。
文知摺観音
-所在地 福島市山口-
平安時代初めに貴族源融(みなもとのとおる)と地元の長者の娘虎女(とらじょ)との悲恋伝説を題材とした百人一首で有名な恋歌の里。これを偲び、芭蕉・子規(しき)も訪れた福島有数の名所です。
松北園付近
-所在地 福島市北町周辺-
江戸時代の奥州街道沿いの北南町は、旅籠や木賃宿でおおいに賑わい、江戸や仙台・米沢からの泊り客を迎え入れました。
元禄2(1689)年の春、松尾芭蕉は弟子の曾良と共に福島城下の宿に泊まりました。その宿は一説では現在の北町の松北園茶舗のあたりといわれています。
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