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更新日:2017年3月1日
「仙台屋」は、茶屋兼旅籠屋も営み、明治9年・同14年と2回の明治天皇東北御巡行には小休所を勤めており、当主増兵衛と子息吉郎次が奉仕しています。この吉郎次が先代の吉郎次にあやかった命名であることは間違いなく、父子共に名工だったと語り伝えられています。
「吉野家」はいつ、誰から土人形を作り出したかは明らかではありません。仙台屋が宿場町の北口近くにあるのに対し、今の吉野家は南口近くにあります。しかし、古くは仙台屋と並んであったといわれていますから、そこで伝習したものと思われます。吉野家の作品を持っておられた平成2年当時の当主の祖父弥一が隠居分家したといい、これが吉野家最後の工人となったようです。
これまで確認された根子町の作品は圧倒的に仙台屋系が多く、吉野屋系と目される例は多くはありません。仙台屋は明治17年の火災で母屋を失いましたが、二棟の土蔵は類焼をまぬがれたため、5点のタネ(原型)と約50点の雌型が保存されてきました。これに対し、吉野屋本家は今次大戦後の火災で土蔵も焼け落ち、残念ながらタネや雌型を見ることができません。
【「花笠」タネと雌型】
【花笠】
【敦盛】
【「敦盛」タネと雌型】
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