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更新日:2017年3月1日
伏拝の坂を上りつめた旧国道四号沿線を中心にした清水町は、清水町村と称して奥州街道の福島・八丁目宿(現松川町)間の合の宿(駅)でした。
この清水町村が、宿駅としては「根子町」の名で親しまれたことは、天保12年(1841)著述の『信達一統志』に「一名根子町駅」と書かれており、道中図などにも「根子町宿(駅)」としたものが見られます。その村名の起こりについて、『信達一統志』は「信達古語ニ云、天正11年(1538)根子町駅をひらく」として、満山松の大樹の山林を開いて作った※新道の道筋に、木の根がわだかまっていて歩行が困難であったため、伊達政宗が「根子町駅」と命名したと説明しています。
「根子町」という名称が「清水町」と変わったのは、福島代官国領半兵衛が、寛文11年(1671)から延宝2年(1674)にかけて実施した総検地(国領検地)に際して、これまでの根子町を改めて清水町としたというのが通説となっています。しかし、福島柳町の※常光寺過去帳には「清水町」と記されており、少なくとも寛永以前に遡ることになります。また、「清水町村」という村名の由来について『信達一統志』は、町のはずれ、道の東傍に清水があり、これにより村名がおきた、と記されています。
根子町は宿場として人為的に作られたものであり、宿場形成当初の「根子町宿(駅)」の名が根強く残って、幕末、明治になっても、「根子町」の名が人々の間で用いられたものと思われます。
いま清水町は、杉妻自動車学校などのほか、新興住宅地となっていますが、かつての奥州街道ぞいには、昔から宿場に依存して暮らしてきた人々の家が、改築されたとはいえ、向かい合って並んでいます。
※新道
現在の平石を通った中世の旧道に対して、伏拝から旧国道四号線の西山手に入って清水町に出た新道(奥州街道)が天正年間に開かれ、根子町駅が設けられていました。
※常光寺過去帳
この過去帳は、慶長7年を初出とする巻物記載を写したもので、一字一句変更していないといいます。その中で、寛永元年甲子年(1624)没の因幡妻の肩書には、すでに「清水町」と記されています。
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