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更新日:2025年4月3日
国内有数のコンサートホールを有し、多くの音楽家から愛される「ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂)」に、初となるプロのオーケストラ「古関裕而のまち ふくしまチェンバー・オーケストラ」が、令和3年10月17日に創設されました。
音楽堂にはこれまでオーケストラが常設されたことがなく、ホールの規模にあったプロのオーケストラが創設されるのも初めてのことです。オーケストラの構成は、音楽堂の最大の特徴であるホールの響き(残響)にぴったりな小規模なチェンバー・オーケストラ(40名程度)として、芸術監督の三浦尚之さんにより、メンバーは若手を積極的に登用し、将来を担う一流演奏家の育成にも貢献していきます。
本市では、同楽団の創設を支援するため、「ふるさと納税型クラウドファンディング」を実施しました。
本市「ふるさと納税型クラウドファンディング」の結果はこちら(外部サイト「ふるさとチョイス」へリンク)
「福島らしい」文化芸術を推進するため、「古関裕而のまち ふくしまチェンバー・オーケストラ」の公演にご来場いただき、活動を応援くださいますようよろしくお願いいたします!
2025年公演につきましては、詳細が決まり次第お知らせいたします。
2024年に行われた公演はこちらをご覧ください。
「古関裕而のまち ふくしまチェンバー・オーケストラ」2024公演ラインナップ(PDF:786KB)
公演内容に関すること、チケット購入につきましては
ふくしん夢の音楽堂 電話:024-531-6221 にお問い合わせください。
令和4年9月18日、市民の力で音楽のまちを盛り上げようと、ふくしん夢の音楽堂内に事務局を置く古関裕而のまち「ふくしまチェンバー・オーケストラ」サポーターズ・クラブが設立されました。
入会すると、オリジナル会員証の発行や、公演の開催情報の優先告知、公演チケットの割引・先行予約、会員限定イベントへの参加、招待券プレゼント(プレミア会員以上)などの特典を受けることができます。
「古関裕而のまちふくしまチェンバー・オーケストラ」サポーターズ・クラブ会員募集チラシ(PDF:3,749KB)
ぜひご入会いただき、継続的な活動をご支援ください。
同クラブの最新の情報は、フェイスブックをご覧ください。
photo:Yuhka Miura
福島市出身。東京藝術大学附属高等学校及び大学卒業。
1964年5月東京文化会館小ホールにて、日本史上で二人目のコントラバスソロリサイタルを開催。同年7月渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団と日本人として最初のコントラバス協奏曲を演奏(フジテレビネットワークより全国へ放送される)。1966年フルブライト奨学生としてニューヨークへ渡米。ジュリアード音楽院博士課程にて学ぶ。ニューヨーク・フィルハーモニー補助員、メトロポリタン・オペラ・オーケストラ準団員、ニューヨーク・シティ・オペラ・オーケストラ正団員として活動。1975年ミュージック・フロム・ジャパン社を創設。日本の現代音楽をニューヨークを中心に世界各地へ精力的に紹介。1996年福島学院短期大学学長就任(2001年3月まで ※現福島学院大学)。
現在、ミュージック・フロム・ジャパン理事長を兼務。
ご出演いただく方々にインタビューをしました。福島への熱い思いなどをお伝えします!
Q.福島とのかかわりは?
A.福島市で生まれ育ちました。
大学進学で福島から離れましたが、今でも福島で演奏したり実家で生徒さんを教えたりもしています。
Q.音楽家を目指したきっかけは?
A.物心つく前からいつのまにか弾いていたピアノの練習は好きではありませんでした(笑)
それでも幼少期はピアニストになるのが夢でした。小学校では合唱部、中学生では吹奏楽でサックスを吹き、みんなで音楽を作り上げる楽しい部活の経験や中学時代の恩師の影響もあり、次第に学校の音楽の先生になりたいと思うようになりました。
高校でオーケストラ部があり、チェロと出会いました。1年生4人の中で私だけが初心者で、みんなに追いつきたい!と頑張って取り組みました。部活と並行して佐藤修先生にチェロを習い始めました。部活の曲は毎日弾くけど自分の練習は家でしないダメな生徒でした。2年生で進路を決める時、友人に誘われるままに京都芸大を希望し、あまりに身の程知らずな言動で先生を困らせました。
楽しい高校生活を過ごしていた3年生の夏、先生が38才の若さで癌で亡くなりました。高校生の私たちにはとても悲しく、とても重い経験でした。受験生の私と友人の事を亡くなる数日前に東京の先生に電話でお願いしてくださっていたことを亡くなってから知りました。先生が生きている間にまともに何も習わなかった事をとても悔い、学べる時に学ばなかったことは私の人生を大きく変えました。大学に入ってからも教師になろうと考えていましたが、いつのまにか演奏することの楽しさが勝ってしまい気がつくと演奏活動していました。
Q.福島市のために頑張りたいこと
A.福島で私が受けた音楽的な恩恵にとても感謝しています。
大人もですが、特に子どもたちが楽器を始めるきっかけになる様な活動を続けて行くことが恩返しになるのではないかと思いますのでそのような機会を作っていければと思っています。
Q.福島市民へのメッセージ
A.自然が豊かで人間的な生活をできる、都会とは違ってのんびりとした福島で育ったチェンバーオケのメンバー達だからこそ描ける音楽があると思います。
福島産の音楽を聴きにいらしてください!
★プロフィール
福島市出身。福島女子高校入学と同時に同校管弦楽部でチェロを手にする。京都市立芸術大学音楽学部卒業。チェロを故・佐藤修、伊東毅、上村昇の各氏に師事。室内楽を岸邊百百雄、故・種田直之の各氏に師事。また、パブロ・カザルス音楽祭にて、アルト・ノラス、京都フランス音楽アカデミーにて、フィリップ・ミュレール、インターナショナル・サマースクール・イン・トウキョウにて、ナタリア・シャホフスカヤ、アフィニス夏の音楽祭にて、ヴァルター・ノータス、ペーター・ヴォルフの各氏に指導を受ける。スロバキアにてヨーゼフ・ポドランスキーのレッスンを受ける。福島市、大河原に於いてリサイタルを開催。現在仙台フィルハーモニー管弦楽団団員として活動するとともに、宮城学院女子大学非常勤講師、仙台市ジュニアオーケストラ講師なども務める。室内楽、ソロ、後進の指導の分野に於いても活動中。
A.生まれも育ちも福島市です。
聖愛幼稚園(今は無くなってしまいました。)、附属小学校、附属中学校、福島高校と通いました。
大学からは福島を離れましたが、福島に戻り福島市音楽堂の音楽専門員として勤務してからは、ずっと福島で音楽に関わっています。
現在は、主に福島と仙台を行き来しての音楽活動です。
A.幼稚園児の時、母に騙されてヴァイオリン教室に連れて行かれて以来、何故か止めずにヴァイオリンは続けていたのでヴァイオリンは常に身近にありました。
今練習している曲について色々と深掘りする事など普通の事としてやってはいたのですが、音楽家になろうという強い思いは当初は有りませんでした。
まあ、音楽科の教員になれれば良いかなと漠然と思っていたのですが、大学の先輩から仙台地区でアンサンブルを立ち上げたから一緒にやろうとお誘いを受け、更にたまたま宮城フィル(現在の仙台フィル)が団員募集をしていたのでオーディションを受けたら合格してしまった。
という事が重なり、ようやく音楽家としてやっていく踏ん切りが付いたのでした。
そのときの先輩のお一人とは、仙台で弦楽四重奏団を立ち上げて今も一緒に演奏しています。
A.両親の事もあり、帰福して約10年間福島市音楽堂の音楽専門員として勤務しましたが、その業務の中で沢山の素晴らしい音楽家を招聘する事が出来、また担当者として間近で演奏に接する事が出来ました。その当時の福島市としては本当に有り得ないような素晴らしい体験でした。
そういったものが自分の中に貯まっていくうちに、これまで得た物を自分なりに掘り下げて誰かに伝えていかなければという強い思いに突き動かされて音楽堂を退職し一人の音楽家として生きて行く事にしました。
今、ご縁を得て福島チェンバーオーケストラのメンバーとして活動させていただくようになりましたが、私がメンバーの最年長であり音楽堂で勤務した経験もあるので演奏だけで無く、色々な面でこのオーケストラが成長して行けるよう微力を尽くそうと思っています。
A.東日本大震災の発災直後に近い頃から、避難所や集会所などで演奏させていただく機会が数多くありました。当初は、音楽なんか・・と言って拒否される方も決して少なく無いなか、私たちの演奏に耳を傾けて下さった方の表情が、演奏前と後で全く違っていたという体験を数多くしました。目は泣きはらして真っ赤だったりしたのですが、当初の仮面のような無表情とはうって変わって人の顔になっていたのです。
これが、生の音楽の力だと私は今でも固く信じています。
メディアから流れてくる音にはない力が生の音楽には有ります。
今の福島市には避難所は有りませんが、生の音楽を共有できる音楽堂が有ります。
生の音楽には人をなぐさめ、鼓舞し、深い思索に導く素晴らしい力があります。
これを、市民の皆さんと共有できるようチェンバーオーケストラの一同は努力して参ります。どうぞ音楽堂に足をお運び下さい。
1957年福島市生まれ。県立福島高等学校卒。在学中に同校に管弦楽部を設立し、初代コンサートマスターとして活躍。
山形大学教育学部特設音楽科卒業後、宮城フィルハーモニー管弦楽団(現仙台フィル)でヴァイオリン奏者として活躍。
1986年~1997年、福島市音楽堂音楽専門員として演奏会の企画・構成、啓蒙普及のための放送出演、執筆、音楽団体の育成等に当たる。
現在、フリーのヴァイオリニスト・ヴィオリストとして演奏、後進の指導などで活躍中。ヴァイオリンを渡辺栄治、大澤秀雄、ヴィオラを中塚良昭、室内楽を黒沼俊夫、指揮法を前田幸市郎の各氏に師事。
2000年、01年、02年、04年、05年、10年にソロ・リサイタルを開催、好評を博す。
2007年には、仙台の演奏家と共に「杜の弦楽四重奏団」結成、ヴィオラ奏者として東北各地で演奏活動を行っている。東日本大震災後は、東北各地で音楽の力による復興センター主催の「復興コンサート」に数多く参加。
福島市では「心の復興へ向けたコンサート」を6回主催している。
古関裕而のまち「ふくしまチェンバー・オーケストラ」ヴァイオリン奏者、「アンサンブルF代表」、福島バイオリン教室主宰。あきたや音楽教室、YML講師。福島県立郡山商業高等学校管弦楽団トレーナー。
A.福島市生まれで高校卒業まで福島で過ごしました。今は東京在住ですが月2度はレッスンのため福島に帰っています。
A.西会津の農家に生まれた母の夢は「子供が生まれたらピアノを習わせる」ということだったそうです。数年間の教員勤め(本宮高校に勤めていました)の退職金で母が購入したピアノが物心ついた時には家にあり、子供のころから私の夢は「音大に行ってウィーンに留学してピアニストになる」でした。ピアニストを目指すのには手が小さすぎたので一度は音大進学を諦めようと思ったのですがピアノの先生の「管楽器なら今から初めても間に合う」という勧めで中学3年生の終わりにフルートを始めました。当時福島にはフルートの先生がいなかったので毎週仙台までレッスンに通い音大に合格、卒業後はスイス・ジュネーヴ音楽院で巨匠マクサンス・ラリュー先生のもとで学ぶことができました。子供の頃の夢が叶えられて幸せです。
A.4年間の留学から帰ってきて半年後、初めてのリサイタルを音楽堂で開きました。そのリサイタルが起点となって福島の友人、知人の方々にいただいたご縁が現在迄の演奏活動に繋がりました。今までの経験や繋がりを福島でクラシック音楽をもっと身近に、気軽に楽しんでいただけるような活動に役だてることができればと思っています。
A.「ふくしまチェンバーオーケストラ」のコンサートにぜひ足をお運びください。皆様の応援とご支援で福島の顔となるオーケストラに大きく育てていただきたいと思います。
福島市出身。桐朋学園大学卒業後、ジュネーヴ高等音楽院にてマクサンス・ラリュー氏に師事。同音楽院をプルミエ・プリにて卒業。帰国後は福島市音楽堂、東京文化会館、東京オペラシティ等でのリサイタルをはじめ、ソリスト、室内楽奏者として国内外で広く活動、フランス、イタリア、スイス、韓国等にも招聘され演奏、教育活動を行っている。録音はskarbo(フランス)、Pavane(ベルギー),フォンテック,ALM等からリリースされいずれも各国プレスより高評価を得ている。指導法のためのダルクローズ・リトミック国際免許サーティフィケイトを保持。一般社団法人日本フルート協会理事。
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