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更新日:2023年6月26日
昭和23年11月23日に公民館として設置されてから70年以上市民の皆様に利用されてきた中央学習センターが、市民会館・敬老センターと機能が統合される形で新しく「(仮称)市民センター」として生まれ変わります。
新しい施設でも引き続き市民の皆様に愛される施設となるよう、中央学習センターのこれまでの軌跡をふりかえりながら、「(仮称)市民センター」へ市民の皆様の思いをつないでいきます。
第2次世界大戦後、国民が恒久の平和を愛し、民主主義による新たな国づくり、地域づくりをすすめるために日本独自の社会教育施設である「公民館構想」が国の方針として公にされたのは、1946年(昭和21年)7月に出された文部次官通牒「公民館の設置運営について」です。その別紙に添えられた「公民館設置運営の要綱」には、公民館は「民主的な社会教育機関」「自治向上の社交機関」「郷土産業振興機関」「民主主義訓練の実習所」「文化交流の場所」「青年層の参加の場所」「郷土振興の基礎を作る場所」としての7つの役割機能をもつことが示され、さらに同年10月には、この文部次官通牒の作成にかかわった当時の文部省社会教育課長寺中作雄が著した解説書的なパンフレット「公民館の建設~新しい町村文化施設~」が発行されました。
これを機に、福島市では、昭和23年に旧市公会堂別館日本間に市公民館が設置され、その後、昭和34年に改築、昭和39年に名称改称、昭和43年に3階部分が増築され現在の形となりました。
この間、昭和27年には第1回全国公民館大会が開催されるなど、戦後県内の公民館をリードしてきたのが中央学習センターの前身となる中央公民館でした。
中央学習センターの沿革~市公民館の誕生から中央公民館への改称まで~
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昭和43年に中央公民館が3階建てに増改築され、現在まで残る形となって以降、施設の近代化が新たな利用者層を生み出し、中央公民館の活動は新たな転機を迎えることとなります。
昭和44年には、福島養護学校(現:ふくしま支援学校)卒業生を対象に、「しゃくなげ青年講座」が開設され、参加者同士の交流や余暇の有効活用、社会参加や自立支援の一助とする場として現在も続いています。また、市民学校が盛んに行われる中、昭和46年には市民学校作品展示会が開催されました。市民学校作品展は、その後、「趣味の作品展」「公民館まつり」と名を変えながら発展し、現在まで続く中央地区文化祭へと発展していくこととなります。さらには、青年学級や婦人学級、高齢者学級なども盛んに行われました。青年学級については、昭和47年当時、中央公民館で7つの青年学級が開設され、参加者は300名を超えたとされています。
その後、昭和55年11月には「公民館開放事業」が実施されました。市内の団体・サークルの皆さんが自主的な活動の場として中央公民館を利用できるようになり、公民館活動は発展・充実のときを迎えることとなります。
中央学習センターの沿革~公民館活動の充実と公民館開放事業~
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中央学習センターでは、毎月発行している学習センターだより連載企画「学びの轍(わだち)」に皆様からの寄稿文や写真、イラストを掲載いたします。
テーマは「中央学習センター(または公民館)の思い出」です。
皆様から寄稿文等をいただきながら中央学習センター・中央公民館の思い出などを振り返ることにより、公民館・学習センターを通じてこれまで築いてきた「つどい・まなび・むすび・いかす」皆様との関係性を、「(仮称)市民センター」開館以降も引き継ぎ、未来へ向けて歩みを進めていく契機といたします。
多くの皆様の寄稿を紹介したいと思いますので、思い出などをぜひお寄せください。
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