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更新日:2017年3月1日
江戸時代の初め、日本は生糸の輸入国でした。しかし輸入超過を憂いだ江戸幕府は、17世紀末に糸割符(いとわっぷ)制度を再興し、中国から生糸の輸入を制限しました。そのため高級織物の産地である京都の西陣は材料不足となり、打撃を受けます。しかしこのことは国内の生糸生産地にとっては絶好のチャンスとなり、国内での養蚕が盛んになっていきます。信達地方は「登(のぼ)せ糸(京都へ売り出す糸)」を増産するため、桑や蚕種(蚕の卵)の改良を重ね、やがて日本有数の登せ糸の産地となりました。
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