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更新日:2017年3月1日
信達地方は江戸時代以降座繰製糸が盛んで開港後全国で機械製糸会社が次々に設立される中、座繰り製糸による高品質の生糸が生産されたため福島における器械製糸業の発達は遅れました。
こうした中で福島市の工業地域は初めは福島駅から北の鉄道道路に沿った曾根田に興り、次いで明治39年に福島羽二重会社が森合に設立され、その周辺に繊維工場が広まっていきました。
大正14年の地図を見ると、福島羽二重会社の南に日本絹撚会社が設置され、製糸会社では信州資本の山十製糸工場が駅裏に、片倉製糸が福島紡績会社を傘下に収めて清明町に進出し、地元資本では福島共同荷造所が大正6年に製糸部を置き丸共製糸会社として現文化センターの地に建てられました。昭和初期の金融恐慌、昭和恐慌が起こりました。昭和13年の地図を見ると、信州資本の山王製糸は東京資本の昭栄製糸となり、片倉製糸は昭和8年八島町に片倉蚕種製造所を設立しました。また絹糸紡績である日東紡績株式会社が杉妻村に、森合には鐘淵紡績が進出してきました。
今回は大正14年、昭和11・12・13年の4枚の地図(複製を)展示しました。時代の変化・特色・地名の変化・身近な場所の昔の様子など、見比べて新たな発見を楽しんで下さい。
福島市職業別明細図(複製)大正14(1925)年2月
福島市街全図(複製)昭和11(1922)年
福島市街図(複製)昭和12(1923)年5月10日発行
最新刊・番地入福島市全図(複製)
昭和13(1924)年4月5日発行
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